2009年12月24日木曜日

幸せメガネ

中国ではわが子を豚児と呼び人前で褒めてひんしゅくを買うような賢く無いような事を慎むとしているが、ある意味親馬鹿こそが幸せの原点ではないかと思う。

我が家の愛犬でメスのチワワがいるがしぐさや犬なりに考えた行動をみていると可愛くて仕方がない。
どんな若い女性アイドルが口角スマイルをしたとしても彼女のクリっとした瞳で首をかしげて見上げる純真な顔にはかなわない。犬好きで他の犬も可愛いがなぜか自分の家の犬が一番可愛い。

わが子も同じで私は授業参観や個人面談に行くが、幼稚園の頃から今の小学校3年生であるが、担任の先生から頭がいい、頭の回転が早いと言われて嬉しくなる親馬鹿である。
しかしどうも他の情報を集めると最近は昔と違ってあまり個人面談で子供の欠点を言わないで長所しか言わないようである。子供に言わせると「みんなに同じ事言っているんだよ」と言っているが(笑)
成績も勉強嫌いもあってそれほど良くは無いが他人から見たら普通の子供でも一番可愛い。

SOTの大家宮野 博隆先生に私は師事してSOTを教わりました。宮野先生は多くの患者さんと共に多くのセミナーを開催して私の様な弟子になる教わった治療の先生は相当な人数でおそらく日本一SOTを教えていらしゃるであろう。

抜群の説得力で何をするにもカッコイイ先生である。その先生にセミナーが終わると必ず何人かで先生にお伴で飲みに言って飲みながらSOT談義を聞き入っていたものです。

その中で宮野先生は残念だが君たちはどんなに頑張ってもめぐみ「宮野先生の二女」と同じには成れないとお話をされていた。宮野先生から相当な先生がSOTを教わったが誰もみぐみさんの治療を超える事は出来ないそうで理由は自分の娘であるからで自分のカテゴリー治療をした子供を抜くレベルまでは到達できないと語っていた。
また奥さんの事も褒めていて「女房の言っている事はみんな正しい、その通りだからこっちは従うしかない本当に正しい事しか言わないんだよな~」と奥さんに絶大な信頼を置いていらした。

実際宮野先生の実の娘であれば相当な実力である。
これは漢方の大家である荒木 性次先生の娘さんが薬剤師とはならなかったが私は娘さんとは直接の接点は無いが薬剤師の平田 健先生から聞くには誰よりも漢方に詳しいと伝え聞いている。幼少の頃から古方を学んでいたら敵う訳がないだろう。

自分の子供や家族を見る視点が違う価値観が違う所に幸せがあると思う。野球の元野村監督が幸代夫人に「昔はイイ女でな~」と未だに幸代夫人の言う事に従っていられる。一連の方々の家族を語る時の顔のほころび方を見て人は家族に色の付いたメガネ幸せメガネをかけているのが一番だと思う。

2009年12月17日木曜日

値段と価値観

最近八味丸を飲み始めた、八味地黄丸八味腎気丸とも同じである。私が習った古方の方術親和会では八味腎気丸と呼ばれている。
馬場先生の馬場薬局の八味丸は最高の生薬を使って作っているので相当効果があるだろう。作っている所を見ても納入されている漢方薬の品質といい値段は確認していないがいかにも効きそうだ。

私は自分の飲む分は松浦あたりの安価なのを飲んでしまっているが、毎日1万歩は歩いているのでかなり他の同年代の人から比べると健脚だし腎気を補っていると思う。

漢方薬も品質には等級があり拘れば拘るだけの事はある。私は麻黄も普通のであるが、方術親和会では去節を使う。荒木先生の最高の物を使ってそれだけのお金をお客さんから頂くと言った精神が今も行き続けている。
最近は世間では何でもデフレではないが安いもの安いものと値下げ競争になり、最近中華街に行ったがバイキングのお店が増えた。ラジオでの聞いた情報であるが2000年から今まででお店の4割が経営者が交代して昔ながらの商売のやり方をしていた人は店をタタミ新しい人が入りその人達の事を新華僑と呼ぶそうだ。テレビで高くて旨いのは当たり前と安くて旨い店の紹介を頻繁に番組で放映しているがこれは喜んでいいのか複雑な心境である。

中国の商売精神は分かる人に本物をあげるもので騙される方が悪いと言った商売精神がある。
私の先輩の薬剤師が中国から送って漢方薬を送ってもらったら杏仁と桃仁を混ぜて送られて来たり(薬の知識がある人ならぜんぜん値段が違うのをお分かりだろう)
箱の底に鉛の玉が入れてあったと聞いた事がある。私も夕食をあるお店で食事をしたが、どう考えてもこの値段ではこの品数と料理を出せないのではないかと心配してしまうほどであった。新華僑の経営技であるが私も長年商売と言うほどではないが派手に利益を得た覚えもないが適正価格というものがある。それをはるかに超えるやり方は疑問である。

関西人も商売は過激で広告の品でリポD1本10円とか客寄せでやったと聞いた事がある。お客さん一人に100円づつ現金を渡すようなものであるがそういうやり方に人々が段々慣れていくのはある意味相手の思う壷である。

2009年12月14日月曜日

天才青野と大河原

昔ボディビルマガジンで同題名で特集記事が載っていた。天才青野と言われる人物は私が柔整学で一緒だった青野の兄に当たる人物で青野は明治大学の柔道部を経て帝京柔整に入って来た。

兄青野は子供の頃からスポーツ万能の少年で何でも出来た子供と書かれている。柔道もかなり強く力も人一倍強かったそうである。しかしながら恵まれた身体能力を持ちながら飽きっぽい性格で柔道もその後辞めてしまう。

文面を省略してその後明治大学に大河原と言う学生が入りボディビルが好きでジム通いをしていて、仲の良かった青野兄を自分の通っていた連れて行ったそうである。天才青野は飽きっぽい性格ゆえに特に何でも出来てしまう為に大学までスポーツを特に力を入れた経験がある訳でなく筋肉トレーニングをした経験も無い。

大河原がベンチプレスをしてみせ青野もやってみてと勧めると青野は見よう見まねで軽々と100㌔オーバーを上げてしまったのには驚き、大河原はトレーニングをしながら今度はフライをするように言った所青野はウエイトトレーニングの経験が無いものだからダンベルフライを勘違いしてディップスを腕の力だけで水平に体をさせそのまま腕立て伏せを軽々と体操の選手の様にして見せたそうだ。

大河原は驚き今まで自分がコツコツと体を鍛えやっと100㌔を上げるようになったのを友達の青野がたった一度の経験も無いのにそれを軽々と上げてしまい。水平ディップスをして見せたのだから。大河原は友人青野にボディビルを勧め青野はボディビルを始めて僅か数ヶ月で大学のボディビル学生チャンピオンになってしまう。

その後天才青野はたぶんに漏れずボディビルも辞めてしまうが、大河原はコツコツとボディビルを続けボディビルで有名になる。

肥田春充先生は幼少の頃虚弱児だったとされ痩せっぽっちと呼ばれ体を鍛えたとある。
しかし体質は変わらない無いものに憧れるのは自然な事であるが持って生まれた天性は大きい。ボディビルを始める人の殆どが痩せっぽっちか背の低い人が多い。ボディビルの頂点を極めたオリンピア優勝者のアーノルドシュワルツルネッガーも子供の頃は痩せっぽっちでコンプレックスからボディビルを始めたそうである。

しかし本来自然にある筋肉と違ってトレーニングによって付けた筋肉は落ちるのも早く維持にはかなりの努力がいる。

首や腰や肩関節を痛める者も多く努力は大変な物である。
自然体でいいと思う。何の努力もしなくても凄い筋肉がある体質の者もいるし、痩せっぽっちもいれば肥満体の者もいる。健康法はその人の体質を一番に考えるべきだ。

2009年12月12日土曜日

虚勢と治療

昔東京の神楽坂で接骨院をしているとスポーツをして体を壊す人が多く来院して、口コミでエアロビックスのインストラクターが6台のベットにずらっと並んで治療を受けているなんて光景があったりする。エアロビックスで足や腰がボロボロで痛みを我慢して仕事をしている。しかしスポーツジムのスタジオではそんな事は一言も口に出さずに真っ黒に日焼けした体で白い歯を見せてニコニコしながらステップを踏む、当時は今のジャズダンスステップが無くラン中心だった為よけいにインストラクターに負担がかかった。

インストラクターの患者さんは<私は、大嘘つき>と自分の事を言っていた。皆結婚してエアロビックを辞めたいけど結婚する相手も居ないしとか言っていた。
ヨガの先生も股関節を痛めて来ていた。ボディビルダーの方も来ていたが当時の中野ヘルスと言えばボディビルダーの頂点である。しかしある方がボディビルダーは本当に見かけ倒しですよ。すーぐ風邪引いて弱いんだからと中野ヘルスでチャンピオンを取った方が言っていた。腰は悪くなるし体にちっとも良くないと自分で言ってやっていた。

昔上田馬之助(プロレスラー)の特集をやっていた交通事故を起こして脊髄損傷を起こす前の時点である。リングで暴れてリングを降りると激しい坐骨神経痛で歩行困難でスタッフの肩を借りて歩いていた。それでもリングでは元気に振る舞いに立ち続けていたがその後に大きな交通事故があったからボロボロの体にトドメを刺された形だとおもう。

治療の先生で自分が腰痛で患者さんの腰痛を治療している先生が私の知ってる人でいるが、肩を壊して治療中に痛みを我慢して施術している先生もいた。患者さんには健康を装い体調を隠すのである。そして自分は健康なんだと言い私みたいに健康になりましょうと自分は治療サイド側であり患者さんサイドでは無いとしている。

私としては先生が病気を持っているのであるならば私も患者さんサイドなんですよと言ってしまった方が正直でいいのではないかと思う。よく患者さんから先生はこんなに患者さんを治療して先生はどうやっているのですか?と昔から同じ会話を聞かれるが今は患者さんと同じで他で私も体の手入れをしてもらっているのですよ。と答えている。妻の治療とかはできても。四肢の五行穴経絡治療は出来ても入念な全身のマッサージは出来ない。

本来は全員が患者さんサイドの筈。

2009年12月11日金曜日

虚勢

日曜日に寝込みずっと床についていてようやく昨日平熱になり今は普通に事務仕事をしてる。しかし今回の風邪は治りにくかった、熱が上がりなかなか下がらずに時間がかかってしまった。

そんな出来事よりも私が感じたのはだいぶ歳を取って来たなーと自覚した事である。
昔は接骨院を風邪も引かずに休まず、例えインフルでもマスクをかけて休まず院にでる事をやっていた。今から思えばインフルエンザウイルスをまき散らしていただけだったのに。

まだ40代までは健康に見せる為に虚勢を張っていた日焼けマシンに入り日焼けをして、必要以上の食事の量を取りプロテイン等のサプリメントを取り体重を増やし筋肉を増やし69㌔位まで増えベンチプレスは100㌔は上げていた。

しかし所詮痩せ蛙のお遊びハワイのスポーツジムでトレーニングしたら100㌔を軽めの準備運動で素早くスコスコと上げてそこからドンドン思いウエイトを加え明らかに格の違いを見せつけられた。
体力検定1級の私で思ったのは日本の検定基準が甘いなーとおもった。

私は患者さんに健康虚勢はいっさい言わない私もあなたと同じですよ、今のところ大丈夫なだけですと言ってる。

2009年12月4日金曜日

抱朴子

読まれた方も多いであろうが私は2冊持っている。安い本であるから読まれた方がいい、仙道(道教)の不老長寿の本であるがこれだけでなくこれをきっかけに若い治療に携わる先生は命を考え直す事もできる。
命ははかない短いものだ抱朴子には合理主義と神秘主義が共存していると本書でも書かれているがそれはどの宗教でも同じであり人として当然あるべき姿現実正しい心を分かりやすく解説しながら神の部分に係る所からとにかく信じなさい、神はいますとなる?。

訳をした村上 嘉実も欲望の浄化を訳の主眼として訳されたそうです。私もそうだと思う宗教は神秘にすがるのではなく正しい心で死んで行く手助けが本来の姿であり役割なのだ。

2009年12月2日水曜日

認識

治療を長くやっているとよく原因について患者さんとこちらの考えている事との違いがある。

私が柔整の学生の頃に年配の女性が変形性膝関節症の為に来院していたがその方は、まだ若い頃に歩道を歩いていて正面から中学生がスピードを出して自転車を走っていてよけた時に足を痛めてその時が原因で悪くなってしまった。それが原因で反対の足も悪くなってしまったと言っていた。

当時の私はその患者さんに年齢からくる膝の変形で因果関係があっても薄いと思われますよと説明をして翌日も説明を繰り返して同じ会話を続けていた。患者さんは《あの時学生があんな乱暴な運転をしなければ私はなんともなかった筈》を繰り返していた。

当時は医学的な解説を一生懸命したものである。(笑)
その様な会話は多く若い頃一度痛めた事があってその時は治ってしまったが。
その時きちんとどこかに通院して治してなかったから今になって痛みが出てきたと言われる方も多い。
誰もが老人になるまでに一度は腰痛になる事はあるだろう。それを治していなかったから今老人になって腰痛の原因はそこにあると言われる人もいる。

最近の患者さんでやはり変形性腰痛症、変形性膝関節症の方であるがストレスから痛みが起きているそうです。ストレス社会であちこちが痛むようになったしまったとご本人さんは言われている。

ストレスに関しては私の蔵書にも病気と心の関係が多く書かれている。たまたま日本教文社の本を多く持っているが心との関係を多く出版しているので収集してしまった。

私はどこの宗派にも傾倒していないが後で分かった事であるが日本教文社は宗教法人<生長の家>の出版部門だった事を知った。生長の家は病治しを全面に出している宗派なのでその関係の出版物が多いのだろう。

癌に罹った人は一般の人に比べて離婚や転職を経験した人の方が発症が高率とのデータもあるがその数字で結びつけてしまうのは疑問がある。
癌は長い経過があって発症したもので人生長い間には誰もが人生の大きな試練や転機があるものだ。

病気に原因を求めて環境や生い立ちや生活に原因を求めるが

それもすべて自分が決めつけているだけだという事を知るべきだ。カルマは思い込んだ事がカルマとなる。

2009年11月30日月曜日

バイオエタノール

よく石油に代わる代替燃料でとうもろこしや最近は研究が進んで色々な植物からエタノールを抽出してそれをガソリンの代わりにして車の燃料にする事が押し進められいる。

エタノールを使って走らせても植物から作った燃料の為実質の二酸化炭素排出量をゼロとカウントするだそうだが、実際には本当にそうなるのだろうか。

プラマイゼロとしたとする計算の算出の根拠が私には分らない。
私はもう、20年近く手作りビールを造っている。ビールが発酵してアルコールになる時に私の家ではガスが2週間から冬場は時間がかかり4週間位ポコポコとガスが出続ける。アルコールが出来て今度は瓶に詰める際中さじ1杯の砂糖を加える。これを多くすると炭酸が強すぎて泡だらけのかなり強い炭酸飲料になってしまう。

造り始めから瓶詰め熟成発酵して炭酸ビールが出来るまでかなりの炭酸ガスが出来るのをこの目で見ている。これが私の家は割合に田舎なので広い為大瓶6ケースを一度に作っているが。これがバイオエタノールとなると桁違いの量であるから発酵過程のガスの量は相当多い筈である。

私は学者ではないし知識がないので学者さんは当然にこの事は知っている筈であるし、そこの所を私は知りたい。今も家でポコポコとガスを出しているホースを見ていると地球温暖化を想像してしまう。

どなたか大学で専門教育またはこの分野に詳しい方は私に教えて頂きたい。
わたしのとりこし苦労を笑い飛ばす知識を欲しいものです。

2009年11月26日木曜日

地球温暖化

今は地球温暖化が叫ばれているが、二酸化炭素の問題だけでなく環境破壊が着実に進んでいる。
これは人類が起こした問題で亀が起こした問題では無い。

私が人口は40億と教わったが今は60億じきに80億になると言われている。人口はまだまだ増えるだろう、人口問題と環境破壊とは無縁では無く、もし亀が海亀陸亀で地球上で溢れたなら何らかの事態に発展して居るだろう。一つの生物だけが地球を独占してしまうのは、必ず種が滅びて均衡が取れる歴史があるが。何とか老化死亡による自然減で日本も遥か昔の邪馬台国時代の人口に戻れば同じく世界でも当時の人口レベルまで戻れば人類は1億年先でも発展していくのではないだろうか?

人が生きている際には肉や魚を食べるが、厚木の食肉センターの従業員の人から聞いた賭殺の仕方はどうしても安楽死とは言えない、二酸化炭素で窒息させて動けない程度で吊るし上げ頸動脈を切り血抜きと殺す事を同時に行える。
全国でペットの保健所の処分も年間数は相当だ、こちらは二酸化炭素でそのまま窒息死をさせる。どこがこれを安楽死と呼ぶのだろう。戦争映画で潜水艦の中に閉じ込められ段々と酸素が無くなり苦しむ様子など映画の中で見た事は賭殺をしている行政は見た事はないのだろうか。

家畜だからしょうがないと大方の人は考えるだろうが、犬を飼っていると頭がかなり良いのが分かります。昼間は家族が居ると遊んで欲しくて絡んで来てはしゃいで居ても夜遅く太極拳から帰ってくると、時間帯をわきまえてハウスから出てこないで物音ひとつ立てないでじっと静かにしている。そして私の起きる朝5時になると時計代わりにクンクン言い始め家の目覚ましになる。

私の親戚の牧場の牛の頭の良さも以前書いたが賭殺をする為にトラックに乗せようとしても分かっているので乗りたがらないでうずくまり抵抗する牛もいる。

豚も知能は犬レベルと聞く、犬は何でも知ってる。問題は新聞に書いてあったが家畜の吐く二酸化炭素の量は馬鹿にならないそうで牛のゲップで地球レベルだと温暖化に関係しているそうだ。人類が増えれば家畜も増え吐く二酸化炭素の量も増え。殺生の数も増える。

2009年11月25日水曜日

若造

何事も深層に入らなければ真相には到達できない。
最近作詞家の丘灯至夫(おか・としお)本名西山安吉(にしやま・やすきち)さんが亡くなった。高原列車は行く、高校3年生等の数々のヒット曲を作詞されたそうだ。面白い点はNHKを経て毎日新聞社の記者をしながらコロンビアの専属作詞家をしてた事でペンネームも記者は押しと顔が大きくないといけない事を逆さに読んで付けたと言われている。

私が昔捜査講習を終えて看守時代に新聞社の記者が大きな顔をして態度が悪いのに閉口した。
まだ大学出たての若造が大きな顔をして刑事課長の机にそのまま腰掛けて体を捻りながら横柄な態度で自分の父親ぐらいの歳の差の人に対して口のきき方も知らず話しかけていた。
当時はなんて新聞社の人間は態度が悪いのだろうと思っていたが、今思えばずうずうしさの練習であり、ハッタリをかます練習でもあり若い記者の一人前になる練習をしていたのかもしれない。大学を出て全ての人間が押しの強い人ばかりでは無い中には気の弱い人も居るはずで、それを当時読み切れなかった自分はまだ逆の意味の若造であった。

2009年11月24日火曜日

中高年の認識

私は毎日5時に起きるが、朝と言っても今の時期だと真っ暗である。起きていると分かるが日の出時間と外の明るさとはかなりの時間差があって日の出時刻は冬になるとかなり遅くなるがそのずっと前に明るくなる。明るさとは日没時刻も同じで日没してから暫くは明るくやがてうす暗くなりそして完全に夜の暗闇がやってくる。早起きしているとこの長い時間帯をとても体感できる。

人の一生も同じでよく黄昏と中年を呼ぶが、元気ぴんぴんコロリの死に方でいたいと思うより。すでに老化が始まりそこを日没と考えればそこで体の寿命は終えている、ただ暫くはまだ明るさが残っていると考えればよい。中高年で明るさを求めるより、闇夜になって行く時に人様に迷惑や次の世代に引き継がなければならない事は多い。

多くの文化人の方を見ていても若い時に才能あふれんばかりの方でも話のまとまりや説得力や全ての部分が無くなっている。

2009年11月20日金曜日

起床

毎朝5時起きの私は今の時期は起きるとまだ空は真っ暗である。今日は霧がかなり出ていて私の家の周りの山々は畑からたちこめる霧で隠れて水墨画のようでもあり、大山から弘法山丹沢山系が全体に隠れて左側には富士山がかなり下の方まで雪に覆われすっかり冬景色であり。私には癒されるけしきである。

人にはそれぞれの価値観があって癒される空間が違い私にとっては自然の中で暮らし山や海に行く事で冬は大体がスキーで雪で覆われた山々を眺めながらのスキーは最高である。

遊びと言えば私の子供が最近ディズニーランドに行ったが、平日でありながら大変混んでいたそうである。
私も何度か行った事があるが、そこで感じたのは人工的な夢空間にはどうも私には馴染めないのと、帰りの電車で女性が淋しそうに電車でディズニーランド側の方に立ちながら眺めていて夜のシンデレラ城を見たいたのを印象に焼き付けている。
お一人で来ているようなのでたぶん年間パスポートの常連だと勝手な想像をするが、仮想空間からの別れが物悲しいのでしょう。できれば企画にはまった仮想空間ではなく、自分でカスタマイズした認識を持って現実を認識すればいつも幸せなこの世でいられるのだが。

2009年11月19日木曜日

スポーツ

私は新聞は日経新聞を読んでいるが、特に経済に興味がある訳でもないし社会面の事件事故には特段の関心がある訳でもない。全ての新聞を何カ月か購読して一番健康面記事特集が多い新聞はどれかと調べた結果日経新聞が購読年齢層も高いせいか記事が多かった。

最近のスポーツでサッカーのチームが表彰台にガムを噛んで上がり、壁にもたれかかり、放言をした事でひんしゅくを買い大会の賞金を自主返納する事が起きた。

その直後のスポーツ面の三浦 カズの定期的なスポーツ面に原稿が載っているがその内容である。事案が起こる前に作成した内容であるが。
サッカー選手は厳しく管理されたものではなく、各々の自己責任で徹底的なプロ意識で・・・・ベルディ川崎の黄金期には個々の自己が強く2連敗したら選手の中から監督交代を言うとあった。サッカーは個人技が合わさって己の個人をプロと言う自己責任にするのはどうかと思う。

私の子供はラグビーをやっているがなかなかラインを突破しいて出来るスポーツではなく団体性が強いスポーツだ、選手の大畑が学生時代ワンマンプレーをするなと言われたとあったようにスパースターであっても個人では勝てない。サッカーよりもより作戦やセットプレーが要求される。

私自身は柔道ボクシングと個人種目だった勿論仲間だが私は子供には団体競技の種目をさせたい、その為太極拳は幼頃からさせた方がいいし大会でジュニアのレベルは大人を遥かに超えている。しかし例え太極拳がかなりの上級レベルになったとしてもそれで終わってしまう。
早稲田のラグビーとか企業が卒業生の就職が有利になると聞いた事もあるが分かる気がす。同じスポーツでも団体スポーツでもかなり団体行動のレベルには差があるのを感じる。

2009年11月16日月曜日

鬱病の世界感と孤立感との線引きが難しい。


ある歌手が子供の頃友達も居なく浮いていたそうである。
原因は自分が変わっているからだそうだ。
しかし自分が変わっている事は自覚は全くないし正しい事だと思う普通に生活していただけの事である。子供の年代は異質な者を受け入れるまだ心の余裕など無いただ純粋なだけなので当然仲間同士から排除され始める。学年が変わろうが、学校が変わろうが子供達の感覚は異質なものを避ける。大人になってくると段々と他人の個性や異質な部分も受け入れるようになってくるから、その様な子供達もある程度仲間内でも容認されてくる。
ハリー.ポッターを読んだ事はあるだろうか?児童文学としては異例の長編で訳者の松岡 裕子さんもあとがきに命を削って書いたとあるが。ファンタージー小説として名著だと私も思う。この小説の場面で場面が重複して起こりそこに存在しているのだが、蛇に首を巻かれている、また戻りそこに存在している事実も確定できない。その様なまでもいかないまでも今は複雑な意識の取り方を繰り返している。ベントフ(超物理学入門)氏のF1F2F3F4F5・・F8・・・・・・・・・・・・意識には質量が存在してリアリティには階層があり相対性が重要視されて等と難しい話に入るが意識の奥深くは面白い。

2009年11月13日金曜日

可愛げのある人格

亡くなった林家 三平師匠が弟子たちに「稚機」でなければ落語家はいけないと生前に何度も言ったそうだ

稚:幼稚の稚いくつになっても可愛げのある人柄で無ければならない。

機:機転の機で相手を思いやり気がきかなければならない。



と弟子たちに話した事を聞くと同じ様な事を北野 武さんも言っていた。

この世界で残る人間は才能や芸で無く可愛げのある奴が残ると言っていた。それ以外は消えて行く。テリー伊藤等が売れなくなった芸人でも引っ張ってあげているのを見ていると人情派なんだなと思う。昔ミスターマリックさんがマネージャの暴露や色々で仕事が無くたった時にテリーさんから「バラエティなんだけど出てみない」と声をかけてくれたと番組の中で言っていた。それからバラエティに出始め仕事を少しずつもらい始めてと・・苦労されている。

個人的に苦労人のミスターマリックさんが好きでマジックの技術も凄いし、あの黒服の誕生がたった一枚のマジック用のスーツも質屋に出してしまった事から始まった事や、ホームページも一時期サングラスを外して丸メガネをかけて家でのドテラ姿に鼻の下にサインペンで髭を書いたりして。失うものはもう無いのではないのではないかと思った時期があった。今のマリックさんは以前のマリックさんに戻りある程度定期的な番組出演もあるし、誰かが引っ張ってくれなければいくら一流の腕があり、ショウマンであったとしても一人では誰もが何も出来ないのである。

2009年11月12日木曜日

おじいちゃん

テリー伊藤さんがサンタの人形で日本では可愛いサンタさんしかなかなか売って無くてふてぶてしいお爺さんのサンタや怖そうなサンタや服も日本では赤ばかりだが毛皮のマタギのようなファッションや地味な茶や色々あるそうである。



お店の人に「なんで色々なサンタのグッズを置かないの?」と尋ねた事があるそうである。



お店の人は「以前その様なサンタも仕入れたが売れないから」



との事だだからサンタ人形は赤の服に決まっていて可愛いサンタしかほとんど巷で見ない。



可愛いサンタしか売れないのである。



これは教訓に繋がる。



私は子供にいつも



「可愛い子供でいなさい」



「可愛い子供は可愛い大人になります」

すると会社の上司や社長さんから助けてくれるよ



「可愛い大人は可愛いおじいちゃんになります」



私:歳をとって急に可愛いおじいちゃんになれると思うか?



子供:急にはなれないと思う



私:かわいいおじいちゃんになりたいか?

子供:なりたい

私:だったら可愛い子供で居なさいと何度も我が子供に言っている。



勉強大嫌い成績は普通であるが、学校大好き友達と遊ぶのが大好きな子供に育っている、子供会の地域の子供で友達が居ないいじめに遭っているそうで小学生の段階でその様な話を聞くとその親御さんの心配は大変だろう。

2009年11月9日月曜日

人柄

私の知っている先生で日高先生と言う先生がいる、以前は300人位一日に来院患者が来るほどで込み方も相当だ、その先生に電話をするのは忙しい事を知っているだけにいつ電話したら良いのか躊躇して、休憩時間帯だと疲れている体を休めさせてあげたいし、仕事中だと忙しいとどちらにすれば良いのか迷う。



迷って仕事が始まる時間を見計らって電話をする

私「すみません、今大丈夫ですか」

日高「大丈夫だよ、なに~どうしたの~?」

と言う会話から始まる何時電話しても同じ対応である。電話口の反対側では物凄く忙しくて大変な混雑ぶりであるのが分かっていても絶対にいつも同じ対応である。よく相手の話を聞いてくれる。



業者の人から聞いた逸話であるが接骨院に間違い電話がかかって来た。その時先生は

「そう、ちょっと待っててね」と言って電話帳を取り出して電話番号を調べてあげて教えてあげたそうだ。

その間混雑している患者さんは待たされる事になるが、その様子を見ていてこの先生はいい人なんだな~と思うと話題になった。



昔私が開業する時「僕のアドバイスなんだけど僕たちは接客業なんだから」と親切に教えてくれたのを今でも覚えている。



鍼灸の知人でこれとは反対にそんなに忙しい院では無いのだが「今治療中だから、後後」と言ってプッっと切られてしまう先生もいる。その後に電話をかけ直してくれるが。暇な院ほどこの様な傾向にあるかもしれない。



「忙しい」という漢字の左側の部分は、りっしんべんと呼びます。 りっしんべんは、もともと「心」を意味する 心を亡くす事であり、どんな状況でも優しさを持ち続けられるかが先生の人格なのだろう。

人生相談

私はラジオの人生相談をよく拝聴しているが、思うところがあったので話題にした。

本日の話は子供が居て精神科に通う妻が居てその妻が鬱病で妻が夫を嫌い子供を夫とできるだけ接点を合わせないようにしている。妻は言葉の暴力、暴言を吐くが、病気がしている事だからと今までずっと我慢をし続けてきた、しかし最近では性的な虐待を受けているとまで言い始めて来たので離婚も含めての相談であった。

この夫はまだ下の子は8歳でもあり、出来れば何とか家庭を維持したいとも思いもあった。

相談回答としては最終的には答えは無くてあなた自身の気持ち次第で決めるしかないと言った内容であった。この相談を例にしても実際に答えを何が正しくてどれが間違いと言う絶対性は物事にない。

この相談者は耐えるだけのまだ気力が残っているのなら耐えなさいと言った事になるラジオの回答者の説明になる。
離婚をしても別れた妻や子供の事が心配で辛い思いをするだろう。離婚をしないで今まで通り妻が悪いのではない病気がそうさせているのだからと毎日の生活を耐える事で間接的に子供を守るか。

思いこみの強いのが鬱病の特徴であるから妻の症状はこれからも続くだろうが、私の知る限りの鬱病患者は長寿な人は居なく70代程度まででみなさん亡くなっている。この方も大変だろうが働いて収入を家に入れて家庭を守り出来れば子供の結婚をみて鬱病の奥さんを看取ってから人生を送って最後を迎える事が出来れば辛い人生であろうがそれだけでも人として素晴らしい生き方だっと思う。

2009年11月8日日曜日

気性

人それぞれ特性があり患者さんに好かれる先生がいる。私が昔荒川名倉病院で勉強させてもらった時に柔道整復師がかなりの人数勉強のために働いていた。その中で酒匂先生というまだ若い先生が居た。沖縄県出身でいかにも沖縄の顔立ちをしていたが、大変患者さんに人気があった。お年寄りの患者さんは酒匂先生にしてもらい為に順番を待っていた方もいたが、酒匂先生は大変に無口な先生でオーバーに言うなら患者さん皆が酒匂先生にしてもらいたと思っていても口には出せないし、先生も他の先生の手前わざとぶっきら棒な態度で接していたが根が優しいのを患者さんも感じるので人気があった。

交代でオペ室に助手として入るが酒匂先生がオペ室に入る時は先生しかしてもらわないと決めていたお年寄りは室長が放っておいて誰も何もしないで可哀そうな状態であった。

ただナパゲルンかセクターの軟膏を何こすりか患部に擦り込むだけの事だけであるが。それでもそれだけの差が出る。先生はよく室長(柔道整復師の中で長)から仕事上よく怒られていたがきっと今では大成してるのではないだろうか?

2009年11月6日金曜日

納得できる死に方

誰でも必ず死は訪れる。健康不健康に限らず、特にあんなに元気だった人がと周りの人が驚いたりするあっけない死を私以外の方も身近で経験はあるだろう。

ではどんな死に方が理想だろうか?それは病死である。納得出来ない人も多いだろうが病気で苦しんだ挙句の死がどうして理想なんだろうと思うだろう。

ほとんどの人が病死で亡くなり理想的な死を選んでいるのである。癌で死んで行く人の闘病日記で「癌になって良かった」過去の自分が病気になって振り返る様にさせてくれて後悔なく死ねると言って末期癌の痛みも受け入れて亡くなって行った涙の物語は何人も話がある。

死は必ず来る。それなら誰のせいでも無い。運命としか取りようのない選択肢である病死が本人家族に受け入れができる。

私が知る限り第三者が関係した人為的な要素が少しでも関係したら大変である。JR福知山線脱線事故JR羽越本線脱線事故等‥事故に遭ったご家族が相手方を恨み、また車による交通事故も加害者がどんなに謝り続けても決して許そうとはしない。テレビで母親が早稲田大学の大学院を卒業するのをやっていたが、子供が早稲田に入り10日足らずで歩道に飛び込んで来た車にはねられ亡くなってしまった。
母親は子供が果たせなかった大学生活の為に受験して早稲田に入り同じサークルに入り自分の子供と同い年くらいの同級生と学園生活をしてその後も大学院に進んだ。大学院卒業をしてから子供の事に心の整理はついただろうか?相手を許す事はできただろうか?
一生子供を思い続けあの時何で車が何の罪も無い息子の所に飛び込んで来たのだろうと思い続ける。
テレビで列車事故の遺族が放映していたが一生許せる事では無いといって恨みが募っていた。
私の知人が日航機の墜落機に乗っていた。事故が起こるたびに慰霊祭の石碑が作られご家族は高齢で動けなくなるまで毎年慰霊祭に通う。そして「この様な事故の事を風化させてはいけない」と語り生涯の人生の事件として残り続ける。

命を落とさないまでも事故で腕を無くしてしまった人が私の患者さんでもいる。「俺も馬鹿だったから不発弾の信管に素手で触っちまって」と後悔もあるが腕が無くなってしまっても誰のせいでもないと片腕で結婚もして子供も嫁いで妻も先に病死して、本人も体も弱り人生の終わりも近づいている。
温厚な性格の方で納得できているが。これが他人の責任で自分の腕が無くなったら大変である。俺の人生は奴のせいで壊されて今もこんな辛い思いをしていると人生観までがおそらく変わってしまうだろう。

世の中の出来事を全て受け入れて死と同じものだと思い。今命が続いている事に感謝の気持ちを持つ事だ。

2009年11月5日木曜日

緊張

11月3日に太極拳全国交流大会が行われ見学に行って中国の先生の演武を見てきたが、私は一階フロアーの審査員席の直ぐ後ろからの近くで幸いにも見る事が出来た。

24式太極拳の制定者・李天驥先生の娘、李徳芳先生ですら、緊張で汗が出て会場は寒い位であったが緊張性の発汗は気温とは無関係である。

24式は幼少の頃から飽きるほどやってはいてもそれでもあれだけの関係者の中での演武は緊張するだろう。李徳芳先生も緊張したと言いながら汗を拭いていた。その後の李徳印 先生の剣でも演武中にふらっと僅かだが揺れた時があった。徐 偉軍 の演武もかなり前からウオーミングアップをされていたそれを見させていたが実際の表演では少し抑え気味になっていた気がする。限界まで大きな動きをすれば当然リスクを冒す事にもなるしある程度の安全範囲の演武だった気がする。

今回の事でも思うが、まして一般私達の心のレベルや全ての事に対して心の影響を排除する事はできないのである。

2009年11月2日月曜日

呼吸法でなぜ逆腹式なのか

逆腹式呼吸は気功でも使うが、SOTの第一次呼吸メカニズムの説明が分かり易い。できるだけ逆腹式呼吸をした方がいい。初歩であるが逆腹式呼吸を説明すると普通は吸気の時に横隔膜が下がり腹の部分が出る形になる。これを出さないようにしてこの圧力を背中側に送り背中が出るイメージで呼吸をする。
詳しくは呼吸法の図で分かり易く説明してあるのがマンタクチャー著「タオ人間医学」エンタプライズ社に記載してある。

なぜお腹を出していけないかと言うとSOTの脳脊髄ポンプの誇張法を自立的に行う為の物と考えられる。プライマリーアーチの形成の中に脊髄液があり脳の第四脳室で作られた(厳密に言うと水道以前から)脊髄液が脊柱管の中に溜まっている。
吸気により肺に空気が入り背骨が起きて真っすぐに近い形になり圧力が高くなり脳側に脊髄液が戻り呼気により背は緩み圧力は下がりS字は強まり脊髄圧力が下がり脳側からの脊髄液がまた脊柱管側に戻っている事を繰り返している。
もちろんこれは弱い波動であるが、深呼吸をする事によって更に逆腹式にする事によって腰椎の前湾が弱まり、より背骨全体が真っすぐに近い形になるので効果的になる。


太極拳で背骨を真っすぐにする姿勢があるが効果的でもある。太極拳は健康にいい運動法である。
明日は東京代々木体育館で太極拳の大会があるので朝から行ってくる。


単純に格闘技であれば高校大学と私は7年アマチュアボクシングをしていた経験からボクシングの方が合理的で長けているが型のスポーツは強さを競うのでもなく生涯健康法は素晴らしい。

2009年11月1日日曜日

他人事にあらず

皆は不幸を必然だとは認識していない場合が多く誰かがその目にあうものだと思いつつも偶然がやってきたと思うだろう。

「ホームレス中学生」田村 裕著 ワニブックスでの貧乏生活は誰でも明日に起こる事だ、私も段々と歳をとって来たせいか苦労話には泣いてしまう、本を読みながら、映画を見ながらすかり涙腺が弱くなってきた。「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント 」だったと思うがロバート・キヨサキさんが車で寝泊まりをする極貧時代の体験をかいてあったが、私は「金持ち父さん貧乏父さん」の堅実なイメージが強かっただけにこの人の投資に対するエネルギーを感じるし、いつまた極貧生活に戻るかもしれないリスクを負っている不確実性を思った。

患者さんの生活でもかなり不安定な生活で何とか日々を送っている方が多い、いつそのバランスが崩れるか私の方が気にしてしまう。しかし私とて同じと考えていつ何どきどうなるか分からないと考えていつも現状に感謝している。

2009年10月30日金曜日

運命

どうしても人は他人との比較をしてしまう。テレビに出てくる100歳の人がいてあんなに元気なのに私はまだ75歳でこんなにあちこちが悪い、友達がまだ元気なのにと健康な人に合わせようとする。
世の中不公平にできていてそれが均等で公平なのである。

よく不幸ばかり続き私は何も悪い事をしていないのにどうしてなのか?前世の影響なのか?と何か原因を見出そうとする。例えとして升一杯に赤の玉が幸せ白の玉が普通黒の玉が不幸としたばあい一杯が寿命とする。その下に一生分の升目があってその玉がどこかに入るとする。当然玉は赤白黒赤白黒と入らず偏った入り方をする。黒黒黒の場合もあるがそれが納得できないでいる。

近年サプリメントや微量必要栄養素を長生き若さを保つために摂取する傾向にあるが魚柄仁之助さんの江戸時代の古い文書を読んだ話で呉服問屋の店主が毎日油揚げを甘辛く煮たのだけを食べ続けて倹約していた人の話が出た。その人は80歳まで生きたそうである。

私が読んだ本で必要栄養量の70パーセントぐらいの方が長生きをするエンテロピーの話は以前したが個体は栄養素が十分に入っていても長生きしないボディビルダー程栄養に気を使う人はいないが長寿ではない。

私自身粗食であるし、大食いもしない標準体重である。毎日一万歩を歩き血圧血液数値も問題も無いが、だからと言って私が長寿になるとは今の時点では考えていない。死ぬ時に結果として短命だった長寿だったと思う程度としか人の命は分からないものなのである。

私の家の草花が増えてしまうので株分けをして全部が全部育つ訳でなく同じ条件なのに枯れてしまうのもある。わが子が縁日で金魚すくいをして金魚を持ってくると死なせてはいけないのですぐに薬浴させてから育てあげていくが縁日の子供が「縁日の金魚って直ぐに死んじゃうんだよね~」と話していたが誰がすくいあげるかも運命である。

2009年10月29日木曜日

自殺は思い

記憶とはいかに曖昧なものか、犯人の面通しでこの人に間違い有りませんと断言しながら、少し違っていたかもしれません。に変わり別の人でしたと言う証人も居る。
また逆で新犯人であってもヤッテいないと巧みに嘘を言い続け次第に自分は本当にヤッテいないと思い込む様になる。

記憶は感情の保存から発展したものと言われている。昔猿だった頃に危険な目に合う事や食事等を学習する事から発展して行ったと私は聞いている。始めに悪い事をしていても次第にそれが悪い事と思わなくなる。何でも全て慣れが支配している勉強や学習や始めの頃辛いと思っていても毎日毎日となるとそれが嫌だと感じなくなる経験はあるだろう。

よく過労で夫が死に遺族が重労働を理由に会社を訴えるケースがあるが重労働では本来人は死なない零細自営業者の方はわかると思うが経営者は従業員の数倍働く従業員が帰ってからも仕事は山ほどあり休日だってあって無いようなものだ。私の患者さんの婿さんの話を聞いたが食事をするのも自分で忘れて居るほどで帰って来るのは日付が変わってからだ。そして朝早く出勤して、その繰り返しで義理の母に当たる患者さんが体の事を心配していた。でも大丈夫だった。

前向きな人は俗に仕事に乗っているので重労働jを感じないでこなせているのである。

今日もラジオで今度入った女子大生が「あん~こんなに仕事したら早死にしちゃう」なんてのが居るんですよ心の中でこの子に言ってやりたいとのハガキの投書であった。何らかの上司か上下関係に有る立場らしい。パーソナリティの南野 洋子さんは皆のモチベーションも下がるし言ってやった方がいいんじゃないですか(-_-#)との事だった。

昔ホテルニュージャパンが火災になった時の捜査書類を捜査講習に若い頃進んだ頃見せてもらった。実況見分調書は物凄い量でその当時は手書きであるから、不眠不休の大変な作業であったと書類を見ただけで想像する。なんでそんな話をするかと言うとその時の担当係長がネクタイでトイレで首を吊って自殺したそうだ。大変なプレシャーも有っただろうが自殺する事でその後の書類は他の人が作らなければならないし後の人は残された仕事をやり遂げた訳である。

辛いと思い始めると辛くなる「あ~もう夜の7時か あ~12時を過ぎてしまった 今日も徹夜か」等など仕事をしながら仕事以外の辛い方ばかりに感情は向き始めそれに呑まれていって自殺する。
よく家族は「夫は毎日休みもなく管理職の重責で疲れきっていて鬱状態でした」と自殺した理由を裁判所に言う。別に会社も使い倒して殺すまで働かすつもりもなかったし訴えられる事で大きな損失を被る。他の人にそこまでなら引き継げば良かっただけなのだから。耐性のある人はいる。人間関係関係でも聞き流せる事が出来ていつもニコニコしている人もいれば一言に対して攻撃性を持つ者もいるし環境が全てではない。

私の提案する心の科学性を理解していただかないと大きな誤解を生むもちろん亡くなった方や残された家族の方を思うと悲しいし私が心に光を差し伸べる事が出来ればと思う。

2009年10月27日火曜日

記憶は嘘をつく

『記憶は嘘をつく』の帯付に自分の記憶は正しいとおもっていますか?

とあるが、自分の考えは正しいと思っていますか?に置き換えてもいい、更に自分の意識は正しいですか?となる、。同じ人間を好きになったり嫌悪感を抱いたりまた考えなおしたり。まったく相手の人間は変化している訳でもない。

ある女性漫画家が私の人生子供の頃から暗黒の時代で友達もいなければ辛い事ばかりだったと思っていたが、最近になってはそれなりに楽しかったし友達もやっぱり大勢居たと幸せな成長を遂げたとコロッと人生を見直して思い違いだったと笑って言っていた。

別にこの方は宗教に入信した訳でなく今の売れっ子である程度満たされた状態で過去を思い直してみただけである。

私の治療院に子供の頃から度重なる虐待を繰り返されて性的な虐待もあったという涙ながらの従業員の男性が入ってきたことがある。私もそんな不幸な人生を歩んだ人なら特別に優しくしなければならないと始めは思っていたが、治療院での勤務態度は悪くて凄いものがあった。
1か月を待たずに退職して頂きたい事を申し出たが労働者の権利だ労働基準法だ特別の退職金を支払いなさいと数々の難解意味不明な要求を突きつけてきた。

実際この方は少年時代に虐待があったのであろか?一時アメリカで子供が親を訴える訴訟が多くなり親側が敗訴したそうである。子供が親を訴えるのだからそれは事実であろうと言うことだ。
しかし今は親側が勝訴する。それは社会現象だと言うことがようやく分かったからだ。

2009年10月26日月曜日

人間関係③

7%以外にはどうして介入できないかは、意識に認識が無いからだ。自分の意識と言うものはしっかり認識しているようで実は殆どが無意識というか頼りないいい加減な存在で、その物事を判断する残りの僅かな意識でも感情に左右されて同じ出来事でも受け止め方や感じ方がその日によって違ってくるいい加減なものだ。

前に話した事だが梅宮アンナさんが「みにくいあひるの子」だった私と言う本を書いたら当時の同級生からいじめられたのは私の方とまったく逆の投書が上がった。事実はどうであろう?

徳光さんの対面番組で別れた奥さんが子供に逢いたいと申し出があり夫は怠け者で働かないで苦労して子供を残して出て行ったと奥さんが申し出があり、ゲストの人は奥さんの身の上不幸話に涙したが、子供達が出演したら奥さんの話は真逆の事で父親には感謝して母親は悪者であった。母親は『嘘よ、嘘よ、そんなの全部嘘よ』と泣きながら弁解していた。

この二つのお話は教訓的にとても重要な事なので二度三度と話してみる価値はあると思う。

人は自分の思う考えの生き方をしているだけで認識の人生なのである。
殆どの人が現実実際の事だと思い込んでいる

『記憶は嘘をつく』ジョン・コートル著講談社の本を読むと更に記憶とはいい加減なものである事が分かる。

2009年10月25日日曜日

人間関係②

人はその人の理解コンタクトをするにあたって一般的に言われている事だが言語7%服装髪型等が38%行動仕草等が58%となっているが。どうしても多くの人が7%に集中して労力を人間関係に注ぎ込んでいる。たった7%しかないのですからどんなに完璧な事をやり遂げても7%しかできないのに。

では何故7%に努力を集中するか?
それはそれ以外人は手立てが無いからです。

ラジオ人生相談のオープニングのセリフで『意外と自分の事は分っていないものかもしれません、相談して解決の助けになるかもしれません』と語っているが、自分は自分の意識のフィルターで意識が存在しているのですから当然です。

心理学の講師を招いて薬局の勉強でお客様の性格判断のお話で聞いた話では服装でかなりの割合でお客さんの性格を事前に判断してそれに合った接客対応をすると言った内容でした。
血液型性格判断は参考にはならないと言いきっていました。細かく服装別に大まかな性格分類をしますが性格が服装に出てしまうのも着こなしている人の頭の中のワールドでの選択であるから大学の先生の服装が参考になると言ったのも理解できる。

『変身する技術』石田 雅男著 幻冬舎でいかに弁が立つことが有利である事の誤解である事を身をもっての体験で語っているが、弁に精神活動をつぎ込みうつ病になりその後の回復してから、人格者として生まれ変わり人が寄る人柄は私はまだ若かった頃から老人になった石田先生を知っているが人を引き付ける魅力をもの凄く持っている方だ。

人はどうしても変える出来ない部分が多い事を認めてからが世界感の認識が変わる。

2009年10月23日金曜日

神を信じる意味

私がよく宗教書を読むのも別にどこの宗派にも所属して居ないせいもあるし、人生に挫折してや病気に苛まされて助けを求めての入信をしている訳でもない無い為かどちらかと言うと始めは否定的な見方や各宗派の歴史を読んだりしていた。

私みたいな特に金銭欲もなければ現在の経済力に満足している家族も明るく健康な立場は明日にはもちろん常に先は分らないから何とも言えないが。今だに神にすがる事は無い。

ジョンレノンが言ったとおり複数の人種がいて神がそれぞれいて不思議だ。空は一つ本当は世界はひとつである。
現実は意識がある以上それぞれの世界が生まれてそれぞれの神が生まれる。
私の息子が低学年から英語をやっているが英語力を段々とつけるのを見ていると人種なんか本当は存在しないと思う地球人でしかない。隣の国との問題なんか存在しない。よく国益と言う言葉を使うが国益が何か?同じ人間で財産が欲しいなら国を無くせばいい、日本人が水産資源、地下資源を得て国が豊かになれば幸せが個人にまで及ぶのだろうか?幸せはお金では無い。

私が仕事をしていて患者さんが宗派に属している事がよくある。熱心な方もいる。なぜか決めた宗派が一番であり、真の宗教だと思われている。自分の宗派を下げて言って他の宗派を持ち上げる話など聞いた事が無い。神を信じると何故か認識はより狭義に神に関してなっている。

2009年10月22日木曜日

明日が乞食とも限らない

日野原教授も語っている、『幸せの敷居を下げなさい』と多くの本でも語っている。
私が語るなら現状は不安定な砂上のお城の上の世界であって現状が現実を投影しているものでは無い事を認識する事から始まる。

例えば人が羨む様な豪邸で暮らしていて、最初には満足していても段々と更にもっと豊かな生活を望んでいた人が居たとしても、その豪邸自体がキャシュで買いその他にその何倍もの動産資産があるだろうか?大体はしっかりと銀行の抵当権が設定されている不動産に間借りしているだけだ。

動産資産が仮に相当に持っている人であっても、それを通帳に入れておく事はしないから常に投資のリスクに晒されて増える可能性もあれば大きく減らしていく可能性もある。

浮浪者の事を語るが警察署に『紳士録』と言って生前ホームレスの方に連絡先等を聞いておきお亡くなりになった際にご家族に連絡する方法を取っている。すると私等の足元にも及ばない高学歴であり社会的地位のあり、語学も堪能で世界各国をビジネスマンとして活躍されていたとする人や社会的な立場も上の方もいらしゃるのである。
別に仕事に失敗して解雇されてホームレスになった訳でもない人たちである。私よりも学歴や能力が遙かに上の人達が考える事があり世捨て人と呼ばれる立場になっただけで。戻ろうと思えばスーツに身を固め飛行機のビジネスクラスで各地を転々とする生活に復帰する事が出来るだろう。

いつ自分とその人との立場が変わっても可笑しくは無い、逆に私にはそこまでの能力が無いので代わる事が出来ないのであるが。

いつも現状は永遠では無いと思う事だ。寺田 和正著『3年に一度は「勝利の方程式」を変えなさい』はサマンサ・タバサを作りあげた人の本だ。この中で従業員に新年会と夏の社員旅行に喜んで貰う為に誠心誠意努力している。この本を読んで貰うと分かるが初めは食後のデザートで社員の歓声が上がるが年々耐性が出来る為に感動してもらえなくなってくる。スペシャルゲスト、ビーチの貸し切りとどんどんとエスカレートしていくのが人の本性だ。

永遠は無い。

いつ病気になり貯金を使い果たすかもしれないし、商売でも会社でも業態が変わったり社会の変革には明日の保障はないのが現実だ。
今を有難がると更なる贅沢に対する耐性は生まれなくなる。

2009年10月20日火曜日

人に悪人無し

どんな人でも意識から見た世界は現実ではなく屈曲して見える。
世界を見た時点でその人の認識から思考が初めて開始されその人なりの分析が始まりだす。

色眼鏡で出来事を見てはいけない、物事を決めつけた見方をしてはいけないと言うが、それは死んだ人しか出来ない。どんな人であってもその人の目から入った情報はフィルターを通してしか意識確認するしかない。本にも出てくるが99パーセントの悟りは悟りではない水は100度になって初めて沸騰する事が出来ると。100パーセントの悟りをした時点では生きて居る事は出来ない。全てどんな教祖さんでも食事もしないで1か月とは命を持ち続ける事はできない。どれだけ人に取って勝手な解釈でガイアに寄生しながら生活しているのが人である事か?

どんな清らかな聖人であっても、極悪人であってもそう傍から見ては違わない、私が警察の仕事で非行や暴走族の少年等と話しても根が優しい子ばかりであった。やくざ者であってもいい面を持っている。それは全部の犯罪者がそうだろう。私は留置場の現場に3年いたがこれらの人々は特別な人ではない
仕事をしながら、私も何かの偶然が起これば立場が変わる可能性もあると考えて仕事していた。

勿論私は法律を守るし反社会性の様な事はしないが、少なくても犯罪者は特殊な人々では無い、いつ私が満員電車で痴漢の冤罪をかけられるかも知れないしそれを無罪を証明する方法は無い。
(私は満員電車に乗る時は両手を上にあげて防衛して乗っているけれど)

2009年10月19日月曜日

人間関係①

私は子供の頃から人間関係の本が好きで、最初に手にしたのは名著と言われていデール・カーネギーの「人を動かす」を中学生の頃手にした。その後様々な人間関係の本を読ませていだだいたが最近は哲学書が多くなった。

人とは生物であり、生物をどんどん拡大して見てくと、細胞になり細胞と拡大していくと原子になりさらに原子と電子のガス状にもやった状態までたどり着く。そのガス状の物体が何らかの方法でお互いに伝達行為を行った居る。私は学者でもないがこれは凄い事だとおもう。

人間関係の本は当然ながら人対人を前提に様々な問題に対して解決策や方法を提起しているが私個人は根底から考えなおしていくべきだと思う。例えばリチャード・カールソンの世界的な名著「don't suite the small stuff」和名「小さいことにくよくよするな」の中で自分と他人とは違う、それを認める事で腹も立たないではないかとある。

しかしそれはどうか?私は地球上の人間はみんな同じだと思う。
価値観や文化風習、宗教や生い立ち、教育、人生哲学すべてが違うのではないかと思うでしょうが、それは私にとっては意識レベルの認識で前にお話した狭義の部分であって狭義な部分ほど同じ出来事に対して認識の差が生まれる。

日野原先生が幸せの閾値(いきち)を下げなさいと言われているが、戦争中の食べる物が無い時代に食べ物を分けてもらっただけで幸せだったじゃ無いですか?と言われているが出来事ではなく認識の差だけである。絶対的なものは上げたり下げたりなどできません。

全ては認識の錯覚が発端であって真実などは無く、全ては幻想であって絶対的なものは存在しない。
人は同じであるから夫婦になっても共同生活が出来るのであって、私と妻とは同じ生物ガスの番いでしかない。同じだから、とくに問題も無く死ぬまで番いをしてられる。
排便をすれば心地よいと思い、食事を抜けば空腹感が起こり、悲しい映画を見れば悲しみ、実は人は皆同じなのです。だから世界的なベストセラー作家や書著が多く存在しているのです。

2009年10月15日木曜日

死とは怖いものか

死は怖い物で死にたくないと考えているか、無意識に死の話題を避けているのが普通の人だ、病院勤務時代も今週中に亡くなる人であっても多くの人はまだまだ自分は死なないと思いこんでいるのが不思議だ。



身近でありながら遠い存在に思い込んでいる。



死についての考えを語ろう。これも死んだら死なんだろう?と言うほどの単純ではない。

相撲で死に体と言う言い方があるが、すでに死んでいるが後から確定がやって来る。



意識を無くし自我がなくなり現社会と交流できなくなった状態も死という見方もある。

脳死を人の死とする考え方だ。



寝ているときは覚醒して居ない意識はレム睡眠ノンレム睡眠を問わず寝ているときは起きる時まで外界の事を知ることはできないし、会話も当然できない死に近い。

当たり前を順序建てて考えて行くと寝ているときは不思議な状態である。



介護しているベット上の人伴侶が丸っきり無反応で目を明け口を開けている状態である時は意識の疎通もなければ交流は皆無だその状態はどう考えるか。



反応があってしっかり受け答えをしてくれたとしても娘が父親の介護をした有名な話の山口美江さんが父親から『そろそろ結婚しようか』と語られた話であるが違う人格の人を介護して他人を人格上は世話している状態であった。



体が温かいから死とは呼ばないと言う見方もある。

意識レベルの段階法等があるがそれが死とは関係しないし簡単ではない。



看護学校の学長が看護師になっていく生徒達に死とは当り前の出来事で朝起きる寝る事と少しも変わらない普通の出来事なんです。と言ったそうだ。

寝て起きてこないだけの事あたり前程度の事
自分の番になったら決して寂しく考えないで、多くの作家が書いているが死とは孤独な物で孤独死と言う言葉自体がおかしいとある。



さあのんびり寝かせてもらおか、自分の種の時代は終わった、しかし次の種に引き継いだ事だし、と考える様に死んで行くつもりだ。



死の時も状況によっては自分の事だけを考えて死ぬ人もいれば戦争で事故で家族と一緒に大けがで死んで行く場合は自分の死よりも、相手の致命傷を案じ息絶えて行く様を残念がって心配していくだろう。



自分の死の恐怖などよりも孤独感とか一切の自分の状況より目の前の相手の苦しみを辛く思うだろ。



意識により、自己の死の受け入れ方や死にざまも変わってくる。

2009年10月14日水曜日

認識とは

私も年を取ってきて年々一年が短く感じられる様になりました。



患者さんで90歳の方が昨日まで10代だった気がすると言った人が居ました。決してその方が認知症だった訳ではありません。要は年をとれば取るほど一年は短くなる。



時間と空間は実態があるようで私は思い込みの現象だと捉えています。広さは数字で部屋で言うと何畳とか何坪とかよく使いますがその部屋でさえ家具の配置や種類により部屋の受け止める広さの認識は驚くほど違います。



どんな大きな家を建てても椅子に座っていたとして目を開いているからそこには広い部屋と高級な家具が配置されていると感じる。目を閉じてみたら四畳半で安いテレビしかない部屋と区別はつかない、全ては視覚からくる自分の認識をお金を使って満足させただけ。




目を閉じて区別がつく人間は居ない。ならば例え四畳半で高原のロッジで椅子に腰かけていると思えばそれで足りてしまうし、不必要なお金など要らなくなる。



時間も同じでインスタントラーメンを待っている時間は長いと一般的には長いと感じる。私は行列のできる食べ物屋でも2時間でも平気に並ぶタイプの人間であるが、同じ時間でも待ち時間の長い店では我慢できる人でもすぐに出来る店で待たされるとイラつく人がいる。



私が見たのはマクドナルドで『何時まで待たせるんだ~』と大声で怒鳴った人を東京モータショウの近くのマックで見かけたが、いったいマクドナルドでどの位待つと言うのだろう?


待たされて1時間待たされる事もない。例え15分でも我慢の限界と考えて大声で怒鳴る。



私が好きで行く定食屋に家族で食べに行った時、隣の家族のお父さんが「いつまで待たせるんだ~」と大声を出して、食事が来始めたのにお金を払わず食事もしないでお店を出て行った人がいた。


奥さんや子供は可哀そうである。







時間は私はそもそもが存在しないと考える。







時間は私も何時に予約が入っているとか。電車は何時とか生活で使ってはいるが、この世に生命がある寿命がある物が生命を基準とした物差しと考えている。







寿命がない不変のものから見れば物質の変化はあったとしても時間の概念が生まれて来ない。







歴史も単なる生命のある人間がそれぞれの短い人生を繋げて書きとめた事でしか過ぎない。







時間は感じ方だけで年を取ると ジャネーの法則と言うのがあり「年齢を重ねるほど、1年が過ぎる速さが増す」  「時間の心理的長さは年齢に反比例する」という説です。50歳の私を例にすると10歳の1年に比べて、50歳の1年は5分の1に感じる(5倍速く感じる)というものです。







時間も空間も思い込みで認識も思い込み



その認識でさえ頼りないもので誰でも勝手に今までずうっとある出来事と間違って思い込み恥をかいた経験があるだろう。



私の母親がすし屋でよく定期的に寿司を取った20年位たってたまたまその寿司屋に母親が家事か何かで私が電話した所。



その寿司屋は『すし清』すしせいと呼ぶ



が私の母親は私の名前がきよしと言うせいもあったので<すしきよ>と20年も思い込み私が電話で注文した時に『へい、すしせいですが』と言う対応で誤りに気がついた。



母親にその事と言って、電話口で『すしせい』って言っていなかったのかい?と尋ねても本人はそう思い込んでいるので『すしきよ』に聞こえてしまうのであった。この話題は母親が40代のまだ若い頃の話であるのでうっかり屋のさざえさんみたいな話である。







その事だけでなくすべてが思い込みと私は考える。謙虚に考えると殆どの出来事が思い込みと自分の勝手な考えだけで生きている。もっと大局的な視点からみればいかに考えると言う行動が狭義な世界かを認識できる。

2009年10月13日火曜日

勉強

学問がいかに大切であるか、私は子供の頃から勉強を得意とはしなかったが、それでも途中からそれなりに勉強をするようになった。今でも本を読むのは好きである。

私が鍼灸学校、柔整学校を通じて成績が良かったがこの事は私が頑張ったからだとは思えない、業界のレベルが学力的に低いからだと思う。私が専門学校在学中でクラスで頭の良い生徒になったなど比較論でおかしな話だ。

私は警察官として勤務した以外会社勤め等の経験が無い事からなんとも言えないが、鍼灸学校の同級生の多くは社会人で会社を辞めて学校に入学した人がかなり居た。

今は私の学生時代と違い大変多くの学校が乱立して、私が呉竹学園鍼灸学校本科の入学した当時と比較にならない広き門になった。今の生徒の入学の学力レベルが下がっているのが心配だ。

私は子供に勉強の大切さを説き豚児ではあるが、継続して勉強をさせている。
私の子供の頃とは比較にならないが、勉強をする事は大切で大人になって殆どの人が子供の頃勉強をもっとしておけば良かったと思っているのでは無いだろうか?勉強をして損をしたと思う人は居ない。

勉強をしたから、いい大学に行ったからそれが社会で成功しているとは限らないと言う方もいらしゃるが、成功する為の絶対条件で勉強するのでは無い。
先日述べた健康法を思い浮かべて頂きたいが健康法を順守した所で長寿とは限らない。
特に人は集団生活なので社会性をもっている誰からも好まれるし勉強は一つの道具と言える。

勉強は勉めを強いると書き勤勉性を培うものです。
鍼灸柔整以外にも若い頃から勉強会で私はベンツを買える位のお金を使いましたし、資格者としても多くの資格を持っています。これからの若い先生が寝る時間を削って、遊びなどにも目もくれず本を読み漁り勉強会に出まくり、勉強をしてもらいたいのですが、残念ながら鍼灸学校の学生ガイダンスに参加しても勉強に興味がある生徒が少ないのが現状です。
せめて薬事法改正で大幅に資格取得が簡単になった登録販売者の資格をとり、もっと漢方薬の事を学んでもらいたい。

2009年10月12日月曜日

意識

意識を追及してくると自覚と他覚の境界線が曖昧になり、その自覚がいかにいい加減なものかを自覚する。
自我は己の意識というより、自己の主張や我ままであると言える。

年を取って段々と生活習慣病というより、老衰により各関節内臓すべてが衰えてくるが、年を取っても丈夫な人がいる。それを比較にしてテレビの人はあんなに元気なのに私はとか私の友達に元気な人がとかすべてが比較になる。

エンテロピーまたはテロメアでも構わないが個体差運もある事を知ってもらいたい。
ドライバーさんで何年もゴールドカードの人に私はいつも凄いですねーと称賛すると、必ず帰ってくる言葉は『違反とかは、してるんですよただ運良く今まで警察にその時捕まらなかっただけです』と返事が返ってくる。
昔の兄弟の多い人で7人兄弟だとしよう、7人がそれぞれ満年齢で順番に90歳に到達する順に死亡する事も無いであろう。

先に書いた外環境でも余命は決まらない、私が患者さんに聞いた話だがある先生が健康自慢で健康法を患者さんに説き毎日玄米を食べ決まった時間にウオーキングをしていたそうだ、まだ40歳になるかで癌になり死亡した。
先生は何故癌になったんだ?何故癌に私がならなければならないんだと言い続け死亡した。

健康法は必要だが絶対には無い勿論私は気を使っているが、患者さんにもあなた達と同じです、明日の事は分りませんと私は言っている。

ブラジルあたりでは太っていることにおおらかであまり健康法の事を言うと『そんなに気をつかってもどうせ死ぬんだから、食べたい物を食べた方がいい』と言われるそうだ。
ある意味その通りだし、体に気をつかうのと、同じくらい魂に昇華させる意識が必要だ。
肉体は賞味期限の非常に短い物体だから。

2009年10月10日土曜日

原因と結果の法則

京セラ稲盛和夫『生き方』に仏教には、「思念」が業を作ると言うおしえがあります。業とはカルマともいい、現象を生み出す原因となるものです。つまり思った事が原因となり、その結果が現実となって表れてくる。



と書かれている。私がもっと簡単に言うと幸せになりたければ全てを捨てなさい。人間関係の好みにしても好き嫌いというが。好き嫌いはその事自体が利己的なものです。



たとえ死を迎える時に窒息を味わったであろうとしてもその人にとっては今までの苦痛から魂が解放される瞬間であり、幸せと感じながらのもう一息と考える瞬間かもしれない。



そんな事でたとえ死と言う不幸の代名詞的なものでも幸せ不幸は分らない。お金持ちであっても心が貧しい人は私から見て『貧しい人だね』としか人は思わない。

5

、『五者の条件』の五者とは、学者、芸者、医者、役者、易者を言うが治療家とはどれが欠けてもいけないと思う。

五行説になぞって5とはとても大切なことが多い。
とりあえず本を一般人よりも多く読む事は必要で、昔『椅子が怖い』夏樹 静子の腰痛放浪記が話題になった事があったその時に私の周りの先生に『椅子が怖い』を読みましたか?と出合った人に片っ端から会話の中に混ぜて伺った事がある。 結果は誰も読んでは居なかったし、良くても聞いた事ある程度の事である。

これでは私は治療に対しての考え方を語り合う事も出来ないし、一般人との会話の方と会話しているのと同じである。 ある患者さんは大変な読書家でアロパシー、ホメオパシーの事を知っていたし。ピアーズテクニックのピアーズの名前まで知っていたのは驚いた事があった。

知識の話をしたがやはり古い本で『原因を結果の法則上下』ジェームスアレンにではないが最終的には宇宙を語る。 すべてが小さい事であり、内面から見た世界感で環境が病気を作るのでは無い。

人は結果を環境に求めるが、内面の創造から環境がある。心の召使が体である。

2009年10月9日金曜日

東京都監察医務院

ここは東京都の23区の死体病死変死事故死かを司法解剖する所である。
ここで警察官が観察医務院医師が解剖する時に立会をする。私が行った時は死体を頻繁に扱うので肉臭が心なしかする気がした。医師の司法解剖は手慣れている為に私が見ていても本当に早い、手慣れた作業でドンドン処理をして行く。

あそこにある資料は財産だとおもう。おそらくあれだけのホルマリンに漬かっている資料は大学病院の解剖病理学教室も無い筈でひとつひとつをじっくりみていたら時間が相当かかる。

一般の人は観察医務院には入れないだろうが、死体との多くの対面は医療をする者には解剖学的死を考えさせるとても良い場所である。床には血が落ち膿が落ち生き物だ。

2009年10月8日木曜日

オペ室

柔道整復師であるので病院に勤務していた頃オペ室の足持ちと称して患部の固定役係を交代でやららせていたがこれは勉強になった。
助手は看護師が行うのでひたすら固定だけをするが足等はかなりの重さがありこれを手術終了まで動かさないで耐えているのはかなり辛い事であるが、患部の病変は目の当たりに見る事が出来た。

医師である古典に長けた家本 誠一先生が素問霊枢に拘ったのは昔は解剖をして臓器を観察して実際に血管の中に竹ひごを通してルートや長さを確認したり、解剖したが。難経になってからは解剖は認められなくなり人は動物から離れて人間であり哲学中心になりすべてを五行や陰陽で解するようになった。その時代の様子を何かの本で読んだが孝行息子が自分の母親が口から虫を出して死んだ事から腹を切ったら死罪を言い渡されたと、の内容だった。
何でも鍼灸で治すと言い張る人癌、捻挫で腫れている足でも鍼だけで良いといい、固定等必要ないそうで、足の各支持靭帯の名称すら覚えてないし興味が無い。原因作用も分からない。ただ径を治療すれば治ると言い張る。
どこを刺すのかと尋ねると解谿を刺して胃経を治せば良いと言ったある団体の学術担当をした人の例である。これで良いのだろうか。

私なりに死人を扱い病人を扱いしてきた結論は人体は魂の入れ物器であり中国では人体は魂の入った糞袋と呼ぶが、糞袋には動物であって生物学的な見地が必要である。
魂に関してはどんどんと哲学なり宗教的な観点からも更なる追及をしていくのが

2009年10月6日火曜日

解剖

治療家の先生は解剖をした事はあるとは思うが、できれば海外で解剖を経験してもらいたい。
海外の死体は国内の死体と違い、検体も豊富だし日本のボロボロになった物とは違う。
鍼灸の先生の多くは実際の死体解剖の数が少ないのと実際の新しい状態から解剖するのではかなり違う。多くの死体でそれぞれの疑問やテーマによって解剖の仕方が変わってくる。

海外のあるカイロプラクターは自宅に解剖室を作り、葬儀屋の資格を取ってそれこそ幾らでも自宅で新しい死んだばかりの方を解剖している。日本の解剖のペースではない。日本の治療家は人体と死体とを豊富に扱う事が無いのでどうしても古典の本に傾倒して哲学だけで実際の老化と病理的な変化を受け止めないし、哲学だけで治ると言い張る人がいる。

私は自分がもし許されるなら自分の患者さんの葬儀に行ったらメスを持ってお亡くなりになられた方一人一人を全員解剖して疑問を解決したかった。病変は外からでも勿論推測は立つが、実際は程度や推測との相違などどんな簡単な死体であっても解剖の必要は本当はある。

日本は死体を敬うので難しいが、仏教の教えでは魂は離れた体は川に流して魚の餌にしなさいとの話も有るぐらいで、海外は解剖室は明るく解剖の雰囲気も明るい。

2009年10月5日月曜日

世代交代

昨日は子供の運動会であった。キリスト系の学校の為に学校長の挨拶は好天を下さった神様に感謝しましょうとの事である。天気は偶然であり、同じ学校の幼稚園は雨で体育館で運動会をしたそうである。

しかし感謝する事は大切であって現状に全て感謝しなければならない。
もうひとつの話は
『子供達の成長を見てください、それに代わり私達はドンドン弱り衰えて行きます。子供達に将来を託して私達は老いて行くのです』とも言っていた。

大人はすでに半分お棺に足を入れかけていると気づいて居ない人が多い。80歳で何故治らないのだろうと言って1年後に死んで行った人も居た。きっと100歳まで病気一つせすにボケもせずテレビに出て来る健康気な老人を自分に投影しているのだろう。

私の母でも病院で病気を年のせいにされると腹が立つそうである。
私から見ても歩く姿がすっかり老婆になり、一緒に宿に行って廊下の間取りが分からなくなり違う所に行こうとしたり、昔の母親では考えられない部分が少しづつ出ている。

今の世の中老いを認めて己は世代交代の歯車であり若い世代にしっかりと引き継ぎをする役割にもっと徹してもいいのでは無いだろうか?

警察官が少年少女を補導して両親に連絡しても育児放棄と言うか。親がどうしようも無いと言った話をある方から聞いた。それでは引き継ぎの役割を放棄しているのでは無いだろうか?

2009年10月3日土曜日

体質

よく薬は体質によると言う体質に合っていなければならない。
これは誰でも知っている事だが鍼灸の先生が69難で同じ治療では選択肢が少ない。鼻水なら葛根湯、桂枝人参湯、苓甘姜味辛夏仁湯、柴胡桂枝湯、四逆湯、柴胡桂枝湯、呉茱萸湯選択肢をあれこれ考えるが何でも69難は難行はどうか。

素問霊枢を読む69難の現代解釈自体が個人的には納得出来ないし、私の目上の先生でも同じ考えである。

私は経絡治療学会の刺し方であったが途中から東洋鍼学会の刺し方になり。
それからまた疑問を持ち基本的な陰主陽従は同じであるが、将来もっと科学が解明された時に意外とチャクラのシンプルなものかも知れないし、がらっと変わりそれにより古典の解釈も変わるだろう。
しかし私が何百年も生きられないから分からないが。

2009年10月2日金曜日

伝統医学

『伝統医学の世界』池上 政治薯 エンタプライズ社を読んでいただくと分かるが昔の三大伝統医学
「アーユルベ^-ダ」「ユナニ」「中国医学」があるが日本では手技療法と思われているが実際は違う。
アーユルベーダは頭に油を垂らすオイルダラー位しか考えない。日本では鍼灸師は鍼と灸とマッサージだけで治そうと考えている人も多いし鍼と灸だけですべての病気を治すと言っている人もいる。(実際治ってないが当然である)

三大医学の歴史は手技もさることながら薬草の弛まぬ研究の歴史であり、中医学で言う湯液の歴史である。先人と言われる人が自分の体や周りの人々で人体実験で草を口にして下痢をしたりしながら学習して学問化をしていった臨床学であるが、現在の鍼灸師の中には臨床家でありながら科学を失いただ哲学のみの古典を崇拝して居る者もいる。

漢方薬は非常に効くこれは自分で経験済みである。本来中医学を例にすると湯液と鍼灸はセットでありどちらもとても大切なものだ。
三大医学に戻るが三大医学の歴史は薬品研究の歴史であったとも言える。家本 誠一先生が現在の鍼灸の現状を嘆いていたが古典を狭い範囲で考えたりする偏った人を別にして古典の解釈は私も先生に従いたい。

2009年10月1日木曜日

生老病死

エンテロピーの考え方を少し述べたい。
道教の考え方は不老不死の考えがありエンテロピーの増大の進行を遅らせる事にあると考えている。
エンテロビーの増大はどうして死になるかと言うと、この世に生を受けて僅か体重3.000㌘たらずの赤ん坊が徐々に人としてプログラムされた成長速度でドンドン大きくなり続け一人前の成人になりやがて老いて死んで行く。
例えば我が家の草花を例に上げよう日当たりの良い鶏頭はドンドン大きくまた早く育ち成長が早いが、成長が早い分早く成長がとまりやがては枯れ始める。同じところでほかの草花にすっかり覆われて日陰でいる鶏頭は同じでありながら成長がほとんどしないまま時間だけが経過していく、やがて自分を覆い隠していた品種が先に枯れて邪魔しなくなってからそれから成長をしはじめ遅れる事数か月で見事な花を咲かせる。

ラットや小動物の食事の量による実験でも理想的な栄養数値よりも6割くらいにすると個体が1.5倍以上長寿になるそうである。今の子供たちは植物で行くと早生なので将来現在のような100歳の人が多数いるような事にはならないだろう。

エンテロビーは増大してやがて人間が死んでもそのエネルギー質量自体は変わらない腐ってアンモニアガスになったり色々な原子にまた戻るだけで地球全体から考えると質量不変の原則の通り。何にも無かった事の様に分解しただけの事である。

2009年9月28日月曜日

死人

道教では人は魂と魄からなり魂は精神魄は肉体を支え魂は天で陽気魄は地で陰気この天地の気が合わさり人間ができるとされるが死ぬと魂魄は天と地に再び戻るとされている。本来は土葬して腐らせてから骨だけになってから川で骨をたわしに近いようなもので奇麗に洗い乾かして白骨の骨模型の様にして骨壺にいれた。魄は白骨に残るとされて、その同じ気骨を持った子孫に受け継がれて行く。



白骨の骨を扱ってもなぜか怖さもなければ逆に懐かしさに近いやがての将来を思い浮かべる。

が、・・・しかし死ぬまでの短い時間の病人の魂が肉体から離れる間際の人の苦しみを、激しい人のを観たせいか未だに恐怖があり、やがて順番で己が断末魔で絶叫して口と鼻から血を出して死んで行くのに覚悟は出来ていない。



戦いと同じで向って死んで行くのには怖さはないが、逃げて恐怖と同居しながら死を避けているようでは恐怖に負けてしまう。



死体に怖さはないと納棺夫日記にも書いてあるが、たしかにその通りだ周りの忌み嫌う恐怖感が何故かその場にあり人々が恐れと恐怖に引き攣った顔をしている。周りが死体を恐怖の物体にしてしまっている。



それでは自分の番に回ってきた時に恐れが心を支配してしまう。一般的な葬式での生老病死や輪廻の考えが吹っ飛んでしまっているのが人々だ。

死体

死体についてであるが余程の臨床に携わっている人以外は知らないだろうが人間程腐りやすく強烈な異臭を放つ物は無い。

夏場であれば1週間で腐って条件にもよるがそこからはウジだらけである。死体がいかに臭いかは実際に腐乱死体を嗅いだ者でなければあの強烈な臭いは分らない。例としてある警察官が腐乱死体を扱って異臭の為活性炭マスクを3枚重ねをして死体を処理して作業着を脱いで署のシャワーを浴びて背広に着替えて家路に帰る途中山手線の車中何故か自分を乗客が避けるそうでその警察官が不思議がり家路に帰り玄関を開けると出迎えた奥さんが「うっ、この臭い何?」と声を出した位臭い。

私も臭い経験をしたが半端な臭さではない。死体霊安室では検死の後当時は死体に酢を一升そのままかけていた。すると臭いも弱まるがこれを今しているか?もっと科学的な消臭剤をたぶん噴霧しているとは思うが。

臭いに関してはどうでもいい事で、人は汚い物でj他の動物の死体でこれほどの臭い事を私は知らない
子供の頃猫や犬の死体が落ちていたが腐ってウジが湧きそのウジを蟻が運び最後は骨だけになるがそんなに臭くは無い。私は知らないがたぶんサバンナのしま馬や象であってもそれほどの異臭はしないだろう。

人は汚いものですぐ腐りゴキブリや動物が汚いと言うが菌の数からいうと人がもっと汚いのでは無いだろうか?奇麗にお化粧した女性でも口から口臭が匂い、風呂に入らなければ体臭もする。犬が強烈な口臭と言うのはあまり聞かない。足でもおやじに限らず若い人でも靴を脱いだ後の足の臭いが臭いのもよくある。

中国で人は魂を持った糞袋というがまさしくその通り。動物よりも色んな物を食べて珍味や発酵食品やありとあらゆる物を口にしている。地球上で一番汚いのが人である。その人間が殺生して多くの動物や植物に生きる為とはいえ殺している。

その人間も魂糞袋の生命体の寿命をもって離れていく。ようは死んで行く。

2009年9月27日日曜日

納棺夫日記

今度地上波でおくりびとが放映するらしい、私は映画を観ていないがヒット作ではある。

原作である納棺夫日記を読んではいる。内容は確かに日記ではあるし宗教がそこには出てくるが映画には宗教の部分がカットしてあるらしい。宗教書を無宗教の私が数多く持っているのも鍼灸師だからで生死観は死んでいく親や周りの人々老いて行くおのれ自身から自ずから避けていては順番に必ず訪れる出来事なのだから。

納棺夫日記の死体の様子は私も短い間だが警察官をしていたので死体を扱ったりしたし、また私の子供の頃は土葬で棺ではなく棺桶で屈曲した形で埋葬した。本に書かれている事位の知識はあったが生死観は作者の青木 新門さんと同感である。五木 寛之と通じる生死観と私は勝手に思っているが。

死に関する本は面白い、と言うか自分がいかにこれから残り生けて死すべきかを問うていくからで、私が読んだ本の中で常に死を意識している人の方が何も考えない人よりも統計的には社会的経済的地位が高いそうである。アメリカのデータではあっても日本にも当てはまるのではないだろうか。

2009年9月25日金曜日

風水は天地の気の流れ龍脈を取り込む為にある事を考えてみても脈は根源である。
問診でも必ず脈を診るし私の家の犬ですらその時の状態でかなり脈が違う。
もちろん死んでしまえば脈は無くなるし、脈に関心が必要だし人生で大切なのは人脈だと思う。
人脈は金脈であり、海の向こうの大統領選でも政治資金の差がクリントン候補を破ったを言われている。

お金が紙や鉄と思うかも知れないが実は経済活動の有機物である人間の生み出したものであるから人と関わって生まれたものである。

己の余生は治療と子供の教育にあるが子供には学問より大切な物を教えてあげないといけない。

2009年9月24日木曜日

飛騨高山

母親を誘って飛騨高山にシルパーウイークで旅行に行って来た。
やはり高山まで行くと弘法山の自然はまだスケールが小さい泊まった宿は古い農家の家の部材を使った建物で72歳の母親は農家出身であるので懐かしがり、また今度は妹夫婦を誘って来たいと言っていた。私も子供の頃は藁ぶき屋根の農家で育ったので懐かしくまた母親を連れて行きたい。

この位までの自然は癒しであり人に優しい心地よさを感じるが現実の自然は人には厳しくリゾートが現実ではなく過酷で自然に近づけば近づくほど冒険になる。

この宿も冬季は閉鎖だそうで水も凍って止まってしまうし暖房施設も真冬までは対応できてないそうである。

2009年9月21日月曜日

昼食

昨日は天気も良かったので子供のラグビーの練習が終わってから昼食は丹沢でバーベキュだった。
里山に暮らすと山が近くにいくらでも身近な為気軽に屋外バーベキュが楽しめる。

家族で焼肉屋に行くのも良いだろうが、やはり屋外で炭火で肉、野菜、魚類を焼いて食べるのが美味しい、川べりについたら川と山の緑を見ながら食べるのが都会の人には出来ない贅沢だろう、この時期サンマを焼いて煙をいっぱい出して焼いたのが美味い御馳走だ。

家庭のキッチンでグリルで焼いたサンマより炭で煙を出したサンマが季節感が出てまた格別だ。
弘法山近くは丹沢に近いので気軽さを報告した。

私が東京で暮らしていた昔隣の家のフランス人が狭い軽自動車1台分位のスペースでよくバーベキュをやっていたのを思い出す。外国人だからパーベキュをするのかそれとも特別なのかは分らないが年間通してよくやっていた。

我が家は田舎なので駐車場7台のスペースがあるので自宅でもやる気になれば可能だが、やはり少し車を走らせれば川べりの素晴らしい景色があるのだか昔ら引っ越した頃は自宅でバーベキュをしたが最近はした事は無い。

2009年9月20日日曜日

この年まで知らなかった

昨日も太極拳に行っていたが、たまたま私の太極拳の一つの流派の楊名時で帯の結び方が違うと分かった。
私は中学生の白帯から柔道着を締めているし、三段で帯の結びは慣れていると思っていたが。

楊名時では右に名前左に楊名時太極拳と名前が入ったのを正面に出して締める結び方で、柔道の普段の乱取り試合の結び方と違った。

まあ私からみれば名前がどちらでも裏になっていても関係ないとは思うが、それが決まり事であればそう従うしかない。

2009年9月18日金曜日

修理

今の時代エコと言われているが、ずーっと前からそうである。今の車は15年乗っているがあと20年は乗る予定である。15万キロ乗っているが手入れは怠らない外見もしっかりしている。

治療の先生が物を大切にしないですぐにダメだからと言って新しい物を買っていたり車のタイヤ交換すらも出来ないのはどうかと思う。私からすると何所がどうしてダメなのかを直ぐに考えて何とか直せないものかをすぐに考える。傘にしろビニール傘を買い代えている人もいるが傘の骨の修理など簡単で誰でも直せるがそれをしない人が多い。

私は靴でも何でも直しているその為30年近く経つ靴すらある。
ジーンズなどは私が大学1年の時にリーのジーンズを買ったのを今でも持っているし体形が変わらないから履いているこれも34年経つ代物だ丁寧に使い直す事をすれば体も物も一生持つ事を実証している。

2009年9月17日木曜日

治す

治療の喜びは当たり前だが、何でも直すのが好きである。

昔は中古の車を買ってきては解体屋で部品を買ってきて修理していた。トヨタの部品センターに業者でも無いのによく買いに行ってたなー。
4速マニアルを5速に乗せ換えたりキャブ交換、マフラーをエンジンについているマニフォールドごと交換。事故ってもフェンダーボンネットグリルを解体で買ってきて交換して。

医療機械も自分で直してる配電図と部品さえあれば後は電話確認すればOK

2009年9月16日水曜日

血が騒ぐ

今日も太極拳だった私はボクシングと柔道と格闘技経験ばかりしてきた。
ボクシングは高校大学と7年して柔道は中学から始め時々抜けてやったりして3段です。
格闘技ばかりしてきたが、もう一度人生がやり直せるなら今度は団体競技をしてみたい。

この年でも素手なら若いものには負けない気で居る。ステゴロと言うが。
さすがにジムでのスパーリングにはなれないので太極拳を始めてあっという間に時は流れた。

2009年9月15日火曜日

お気に入りの本

今まで読んで感銘したり、感動したり、ためになったり、色々な本と出合いそれなりの評価があるが、人生最大の本というと「ベントフ氏の超意識 物理学入門」だろう。

随分と長い題名である、内容も私には面白いと思うが、意味不明の本かもしれない。
ピンク色の表紙で288Pの小さな本であるが、私から見るとベントフ氏はただ者ではない人で凄い頭脳の持った人で私の様な人間でもこの世界にある現象を説明している。

この本は絶版になっているし、ベントフ氏は宗教家でもないし、科学者でもないし何の肩書を持たない一般人であるが。若くして死亡しているのでその後の本はないが事故に合わないで持説を次々と出したら凄い事をやらかしたであろう。

まだ科学が未発達の時代で宇宙が今ほど解明されてない知識でこれほどの宇宙理論を展開したとは信じられない、それもそれを語る資格すら持たない人が意識とは変性意識状態の理論展開と、かれこれこの本と出合って20年ほど経つ。

2009年9月14日月曜日

指導者と治療師

太極拳を例としてコーチ(先生)と生徒(練習生)の関係があります。
コーチはつい熱が入りここをこうした方がもっと良くなりますよ、とかダメダメそうじゃなくてこうですよとか指導します。しかし先に始めているのだから上手で当たり前の事で、その指導をする人も何年か前そうであった事で指導者の理論や癖をそのまま受け継いでいる。

どうしても太極拳も自分でやっている流派が一番だと誰もが思っているそうで、中国では武術の流派が9000あってその長である老子がそれぞれが自分の流派が一番だと思っているそうです。
そう考えると逆に型はどうでもいいような気にすらなってくる、楽しくコーチと生徒がその場を過ごせばそれで一番ではないかと教えるのではなく教えられる事を考えると実は両方とも生徒でありどちらが秀でているものなど存在しない世界なんです。

わたしも中学生の頃の愛読書が「壮快」という健康雑誌で健康本を買うのが好きな健康マニアでした。普通は鉄道マニアの鉄ちゃん鉄子とかがマニアの代名詞で今はアニメの好きな人が多いらしいですが私は健康の健ちゃんとでも言う子供でした。子供が酢大豆や紅茶きのこや真向法をして学校帰りに後ろ向きに歩いたり、妹のお年玉を言葉巧みに騙して二人のお年玉でぶるさがり健康器を買ったり(昔は高かった)そんな事ばかりして健康の知的興味が強かった。

鍼灸の本科柔道整復の学校を出た後開業してからも東京で接骨院を開業して盛況で多い時には日に120人ほども来たりしたので金銭的に余裕から各種セミナーに出まくりお金をずい分と使って勉強をした。うちの奥さんがセミナー代でベンツが買えると昔言ってた(笑)セミナーの終了書など山ほどある。

ですから子供の頃から病気に無縁の体ですでに今の中高年が読むような本を読んで30年以上治療に関わり子供の頃の健康オタクを入れると生まれた幼い時を除くと人生52年のほとんどを健康に関係していたとも言えます。

つい患者さんに健康管理や東洋医学とかを指導したくなりますが太極拳を同じ考えに立ち戻ると、どうでもいい事で立て板に水の話し方は患者さんに一番嫌われる話し方であり、私が少し前に少し健康を聞きかじった、それは絶対ではなく同じ対等な立場であり、私の方が仮に同年齢であっても先に死ぬ事も十分にあり、この世にものさしは存在しないし絶対値もなければ基準もなく俗世から離れていく。

2009年9月13日日曜日

土曜日

土曜日は稽古に小田原厚木道路を車で走っていたがかなり激しい雨で小田厚にも水たまりが出来てワイパーを高速にしても前が見えにくい状況であった。

制限速度は70kであるが私の車は60kで走行していると追い越し車線を軽自動車が追い抜いて行ったが危険に感じた。私の車は4WDであって運転免許も大型、大型特殊、二種免と幅広く免許を持っているが所どころかなり水が溜まってタイヤハウスのゴーっと水の中を走る音がする状況で速度を落とした走行をしていた。

軽自動車はタイヤの幅もないし当然グリップ力も劣る筈なので悪天候はより慎重な運転をされた方がいいと思う。

2009年9月11日金曜日

宗教

患者さんと接していると宗教人口の多さに驚く、表向きには言わないでも隠れキリシタンでは無いがほとんどとまでは行かなくてもかなりの数である、特に新興宗教系は相当こちらと親しい間柄になってこの宗派に入っていらつしゃったんだと気が付く。

私の本棚は健康関係か宗教関係の本しかない、私は別に何も宗派には属してないが宗教書を読むのが好きである。宗教は哲学でありかなり高度な学問だと私は思う。
だから宗教に入っていらしゃる患者さんにとって理解してお話を聞いたりしている。面白いのは例えば夫婦でも神道系の天理教と世界救世教と違ったり色々な組み合わせがある。

宗教は哲学であり、私は神話と考えている。学者さんは○○の謎とか色々な疑問点や歴史上の記述のすり替えが列記されているが、読ませていただいてとても面白いが神話と考えれば疑問でもなくなってしまう。

般若心経ひとつ読んでも解説書によってかなりニュアンスが違う、何冊も読んで参考にさせて頂いてる
ブッダの教えが仏教からこれほどの宗派に別れてしまうのも十分うなずける。

宗教は皆正しい事を言っているし正しい理論であるが、他人にとっては一歩間違えると暴力になる。
家族がいたとしてその人を良くしようと一生懸命宗教活動を強制したとするとその強制された側は精神的な暴力を常に受け続け心に深く歪みと苦痛を受け続ける、強制している側は正しい事を勧めて正しい事だから何の問題も無いとその事にまったく気付かない。

宗教は言い換えると暴力性を秘めているからどうしても歴史的にも現代でも宗教対立や抗争が起きる。

他人には自分と違う世界が存在して価値観も違うのだからそこを理解していれば暴力ではなくなる。

2009年9月10日木曜日

長寿

段々と年々平均寿命が延びています。
これは明らかに医療が充実して誰もが保険を使い治療や手術をしたりした結果だと思う

健康管理を国民全体が徹底した結果寿命が延びたとは言えません。
殆どの成人中高年は生活習慣病に罹り高血圧や脂肪肝を当たり前の様に持っていて例え肥っていても年だからと言って食事管理や生活の中で運動量を増やしたりはしない。
食事は食べたい物を食べたいだけ食べる人の多い事その為殆どの人が中年になると太ってしまう。

犬をみても殆どの犬が肥満している。私の犬は定量しか与えないが、食欲旺盛なのでもし食べたいだけ与えてみたら今の3倍の量は食べるであろう、犬も太ると病期になる確率がかなり高くなる、人も動物だ気をつけた方がいい。

私がまだ若い頃鍼灸学校に通っていた頃呉竹学園の代々木校舎の5階が教室であった。1台しかエレベータが無く順番に待っている。私は階段で駆け上がってエレベータを使わない、何故ならエレベータ前に皆が煙草を吸ってその前が煙で凄い状況だったからだ。
たばこを吸い、運動もしないで不健康な学生が治療を志している。

資格者の勉強会でも日焼けした白い歯の筋肉質な治療の先生など見たことがない(若い先生を除く)
皆年配の先生は疲れ切ったお顔でどす黒い顔で患者さんより病的なお顔をしている。

2009年9月9日水曜日

稽古

水曜日と土曜日の夜は稽古日だ食事風呂も遅くなり、就寝時間も遅くなる。
何より筋トレが出来ない。
健康の為に始めた太極拳であるが、不規則な原因になっている。

始めた以上死ぬまでやるが。指導員は休む訳にはいかない。

2009年9月8日火曜日

今回の経緯

以前からパソコンに多少不安定な動作が見られるようになっていましたが、バックアップも取っているからまあ使えるだけ使おうと言う気持ちで使っていて案の定の結果になってしまった。

やはり基本のその時点でハードディスクを交換しておいた方が良かったです。
今までも度々ハードディスクを交換してOSを新しいハードディスクに入れてからDVDに付いているウルトラATAの差し込み口から古いハードディスクを差し込みデータを読み込んでいましたが今回は新しいパソコンを購入したらハードディスクの差し込み口が新しい規格のシリアルになっていました。

もうこのパソコンも7年も使っているので当然の事でメモリーもこのパソコンのMaxまで増やしてますがもう時代を感じていました。

ハードディスクの口をUSBに変換する接続を買ってきましたが認識をするものの読み込みができない状況で新しいパソコンが来るまで待つ事にした。
古いパソコンに新しいハードディスクを買ってきてOSをいれていつもの読み込みをしようとしたところ異常が発生し急にハードディスクが強力な磁力を起こして危険な状況になったのでパソコンの電源を落として難をのがれた。
幸い今回の事で古いパソコンのダメージは無さそうである。
それほどパソコンに詳しい訳ではないので取りあえずハードディスクが原因だったと思われる。

2009年9月7日月曜日

パソコンが壊れてました

パソコンが急に立ち上がらなくなり、デルさんに注文を入れてそこから届くのに日数がかかり何とか壊れたパソコンからデータを取ろうとしましたが結局ハードディスクが損傷したため駄目でした。

新しいパソコンは2コアで4メモリーなのでやっぱり早いですね、今は古いパソコンでハードディスクを入れ替えて必要ソフトを入れてテストがてらブログを入れてます。
もう7年も使っているのでそろそろ基盤自体がいつ壊れるかも。今までオフィースは古い2000を使ってましたが2007を新しいパソコンで使っているとやっぱり我慢しないで新しいのをその時その時で買った方がいいのかもと便利さで思いました。

2009年8月20日木曜日

太極拳

太極拳は一頃のブームが去ったとはいえ、かなりのサークルや会が一杯にあります。
私の流派は「揚名時健康太極拳」であるが、もう一つ普通の揚名時太極拳から見ると「武術太極拳」も練習している。

揚命時と普通の太極拳とは大きな違いがあり、太極拳側から見るといったい何をやっているのだろう?と思うかもしれない。私なりにこの件を考察してみると、かなり昔日中国交回復で太極拳が伝わった時に簡化24式が作られた時に揚先生が関与したそうです。

昔は太極拳が伝わった時には現在の太極拳でいう誤った動作をなぜか教わったと創成期に教わったと古い方は言います。
たぶん簡化24を編纂する際に皆が出来るように簡単にしたのではないだろうか?そう考えると揚命時太極拳はその当時のまま固定した流派であり、超簡単太極拳です。その為会の平均年齢は他の会派に比べて非常に高齢者の集まりで、若い方はどうしても48式や陳や剣や扇など太極拳をより色々と学びたい為他の会派に行かれてしまう。

しかし24式しかしない事にこだわった揚命時太極拳は誰にでも出来る、高齢者でなかなか新しい事には覚えるのが難しい方には適していると思う。揚命時の動きは太極拳に比べて簡単であり、体に負担がかからない、普通24太極拳は約4分少しですが揚命時では8分位でしてます。
揚命時先生は10分をされてたそうです。これだけ遅いとどうしても覚えられない方でも横の人を眺めながら皆一緒にする事ができます。たとえ間違っていてもたいした問題ではないのです。

揚命時師範を見ると皆さんがそれぞれ違った動作をしてます。

これは揚命時ぐらいでしょう。
同じ動作が前提の会の指導の人は皆が金太郎飴のごとく同じ動作ですが、同じ会派の中では24式ぐらいは同じはずがこの時点でもバラバラです。最初の頃は違和感がありました。

もう一つ参加してる普通の太極拳が北京体育大学の教え方を基本にしてますが。これも教授によってかなり違う事を知り同じ北京体育大学を基本としながら会派によって動きは同じなのですが、解釈によってかなり動作に違いがあります。

中高年や高齢者に48式は必要なのか?その時集まって健康体操が出来ればそれでいいのではないだろうか?高齢の方を見ていると24までは何とかついてこれるがそこから新しいのは覚えきれてない方が多い。多く覚えたから健康になる訳ではないし。

2009年8月19日水曜日

中高年

中高年の登山ブームは続いています。

中高年になると体力的には落ちてきて心肺能力も低下してきますし膝関節にも負担がかかるでしょう。多くの人はその位になると生活習慣病の一つや二つ有ります。

それでも多くの中高年は山に登りますね皆山に登ると爽快感があると口々に言います。
中高年の中にはセカンドライフを田舎で送る人もいる。これも同じ事で都会の生活は気を消耗するだけで生命体を弱らせるだけだ。若いうちはまだそれも出来るが段々と年齢が高くなると辛くなってくるし鬱病や心の病気に侵され易くなる。

よくサラリーマンが正業を持ちながら田舎に行って農業を始め自給自足の生活に近い生活風景をテレビで放映したりもするが、その人にとっては決断であり私は同意する。もし無理をして都会でサラリーマン生活を続けていたならきっと鬱病になっていただろう。

2009年8月18日火曜日

お盆休み

お盆休みで色々と家族と過ごしました。
家族は大切にしなければならない。

儒教の国韓国ドラマを見ても日本であんなに家族の事で悩んだりするだろうか?本当は血族はもっと重んじなければならない。

私は父のお墓参りをして、それから別の日に家族で富士山に登山をして無事に山頂に登り終えた。
コンロン山の全てが子供とされるから日本一の富士といえどもヒマラヤ山脈の子供だ。登る時は辛いが小学校3年生の我が子も頑張って登り終えた時の達成感が子供にも得る事が出来た。

コンロン崑崙山からの龍脈はまた次回

2009年8月13日木曜日

術とは

我々鍼灸師、マッサージ師の治療行為を行う所を施術所と云う。
開院も施術所の開設届けと云う名称で治療院の正式な呼び方です。

患者さんに行う医療類似行為も施術行為でカルテも施術録だ。
私が漢方薬を学んだ薬剤師の集まりの勉強会も「方術信和会」と云う名称だ。

何を云いたいかと云うと鍼灸は刺激療法でないし現代医療とオーバーラップするが「似て非なり」
漢方薬を薬効で考えてしまうと処方で殆ど同じものが入っている場合があるがまったく別な処方とする

鍼灸は漢方薬は術の手段です。道教の哲学の中に包括された。

2009年8月12日水曜日

風水で龍脈と言う考え方があります。
私はこの山々からの気を受けて居ます。
弘法山コース
①ハイキングコースは地図で言うと善波と書かれた所に分譲地があります。そこの山からが私は散歩で上ってます。
②めんようの里まで車で行けますからそこからも
③鶴巻温泉側からも登れます。多くの方はそこは帰り道で利用して「弘法の里の湯」で汗を流して帰って行きます。
④車で弘法山の裏まで回ってそこから直ぐに上ってしまう方法もありますが、これは急な階段で直ぐに上ってしまいますし山には駐車場もありませんからお勧めしません。やっぱり山は歩いて森林浴をしながら自然に癒されて少しは歩かないといけません。


この地球に生かされていると言うようやくエコや地球環境を多くの人が分り始めてきた
このままでは人と言う種族はそう長くは地球に存在できない。

せめて地球の寿命があるまではこの種はあって欲しい環境変化だけで過去の歴史から簡単に地球上から多くの種が消えて行った様になって欲しくは無い。

2009年8月11日火曜日

ハイキング

小田急線で約1時間でそこは自然に恵まれた土地だ、私の治療院の近くには鶴巻温泉駅があり、近くには「弘法の里の湯」と言う天然温泉がある。

緑に囲まれて暮らすのが当たり前の生活で、大山や丹沢を登り終えたハイカー達はリックを下ろしてここの温泉に入って行く。泉質は無色透明ですが。僅かにしよっぱい。これは直ぐ近くの温泉旅館「陣屋」さんも同じです。

ここは在住の人が入っているので何処かのスーパー銭湯の様な洗い場の椅子が無いような込み具合は無くもし平日に行けるのなら行ってみるとガラガラでゆっくり入れる。

日曜日でも他よりは比較的ゆっくり入れる日帰り入浴温泉ではないだろうか。
鶴巻温泉と言えば弘法山ともう一つ温泉のカルシュウムの含有量が多いので有名
山々を背にしているからそれだけの鉱物質が湧き出るのだろう。

2009年8月10日月曜日

自己紹介

何か縁あってこの山奥弘法山の近くに流れ流れて住んでます。
勿論この地にしたのも風水上も考えての事です。風水の話はまた機会があれば載せたいと思います。

子供の頃から健康に興味を持ち、中学生の愛読書は「壮快」(笑)既に中高年の読む雑誌を読んで子供ながらに買う本は健康関係の本ばかり読んでいました。酢大豆、紅茶キノコとか雑学的な事が好きで本に書かれている通り学校の帰り道後ろ向きに歩いて見たり、お年玉でぶるさがり健康器を買ってみたり
(その当時は子供から見ると3万代はして高価なもので妹を言葉巧みにお年玉を取り上げ二人分のお年玉でないと買えなかった)

今は治療院の施術をしています。