2009年10月12日月曜日

意識

意識を追及してくると自覚と他覚の境界線が曖昧になり、その自覚がいかにいい加減なものかを自覚する。
自我は己の意識というより、自己の主張や我ままであると言える。

年を取って段々と生活習慣病というより、老衰により各関節内臓すべてが衰えてくるが、年を取っても丈夫な人がいる。それを比較にしてテレビの人はあんなに元気なのに私はとか私の友達に元気な人がとかすべてが比較になる。

エンテロピーまたはテロメアでも構わないが個体差運もある事を知ってもらいたい。
ドライバーさんで何年もゴールドカードの人に私はいつも凄いですねーと称賛すると、必ず帰ってくる言葉は『違反とかは、してるんですよただ運良く今まで警察にその時捕まらなかっただけです』と返事が返ってくる。
昔の兄弟の多い人で7人兄弟だとしよう、7人がそれぞれ満年齢で順番に90歳に到達する順に死亡する事も無いであろう。

先に書いた外環境でも余命は決まらない、私が患者さんに聞いた話だがある先生が健康自慢で健康法を患者さんに説き毎日玄米を食べ決まった時間にウオーキングをしていたそうだ、まだ40歳になるかで癌になり死亡した。
先生は何故癌になったんだ?何故癌に私がならなければならないんだと言い続け死亡した。

健康法は必要だが絶対には無い勿論私は気を使っているが、患者さんにもあなた達と同じです、明日の事は分りませんと私は言っている。

ブラジルあたりでは太っていることにおおらかであまり健康法の事を言うと『そんなに気をつかってもどうせ死ぬんだから、食べたい物を食べた方がいい』と言われるそうだ。
ある意味その通りだし、体に気をつかうのと、同じくらい魂に昇華させる意識が必要だ。
肉体は賞味期限の非常に短い物体だから。

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