2009年11月30日月曜日

バイオエタノール

よく石油に代わる代替燃料でとうもろこしや最近は研究が進んで色々な植物からエタノールを抽出してそれをガソリンの代わりにして車の燃料にする事が押し進められいる。

エタノールを使って走らせても植物から作った燃料の為実質の二酸化炭素排出量をゼロとカウントするだそうだが、実際には本当にそうなるのだろうか。

プラマイゼロとしたとする計算の算出の根拠が私には分らない。
私はもう、20年近く手作りビールを造っている。ビールが発酵してアルコールになる時に私の家ではガスが2週間から冬場は時間がかかり4週間位ポコポコとガスが出続ける。アルコールが出来て今度は瓶に詰める際中さじ1杯の砂糖を加える。これを多くすると炭酸が強すぎて泡だらけのかなり強い炭酸飲料になってしまう。

造り始めから瓶詰め熟成発酵して炭酸ビールが出来るまでかなりの炭酸ガスが出来るのをこの目で見ている。これが私の家は割合に田舎なので広い為大瓶6ケースを一度に作っているが。これがバイオエタノールとなると桁違いの量であるから発酵過程のガスの量は相当多い筈である。

私は学者ではないし知識がないので学者さんは当然にこの事は知っている筈であるし、そこの所を私は知りたい。今も家でポコポコとガスを出しているホースを見ていると地球温暖化を想像してしまう。

どなたか大学で専門教育またはこの分野に詳しい方は私に教えて頂きたい。
わたしのとりこし苦労を笑い飛ばす知識を欲しいものです。

2009年11月26日木曜日

地球温暖化

今は地球温暖化が叫ばれているが、二酸化炭素の問題だけでなく環境破壊が着実に進んでいる。
これは人類が起こした問題で亀が起こした問題では無い。

私が人口は40億と教わったが今は60億じきに80億になると言われている。人口はまだまだ増えるだろう、人口問題と環境破壊とは無縁では無く、もし亀が海亀陸亀で地球上で溢れたなら何らかの事態に発展して居るだろう。一つの生物だけが地球を独占してしまうのは、必ず種が滅びて均衡が取れる歴史があるが。何とか老化死亡による自然減で日本も遥か昔の邪馬台国時代の人口に戻れば同じく世界でも当時の人口レベルまで戻れば人類は1億年先でも発展していくのではないだろうか?

人が生きている際には肉や魚を食べるが、厚木の食肉センターの従業員の人から聞いた賭殺の仕方はどうしても安楽死とは言えない、二酸化炭素で窒息させて動けない程度で吊るし上げ頸動脈を切り血抜きと殺す事を同時に行える。
全国でペットの保健所の処分も年間数は相当だ、こちらは二酸化炭素でそのまま窒息死をさせる。どこがこれを安楽死と呼ぶのだろう。戦争映画で潜水艦の中に閉じ込められ段々と酸素が無くなり苦しむ様子など映画の中で見た事は賭殺をしている行政は見た事はないのだろうか。

家畜だからしょうがないと大方の人は考えるだろうが、犬を飼っていると頭がかなり良いのが分かります。昼間は家族が居ると遊んで欲しくて絡んで来てはしゃいで居ても夜遅く太極拳から帰ってくると、時間帯をわきまえてハウスから出てこないで物音ひとつ立てないでじっと静かにしている。そして私の起きる朝5時になると時計代わりにクンクン言い始め家の目覚ましになる。

私の親戚の牧場の牛の頭の良さも以前書いたが賭殺をする為にトラックに乗せようとしても分かっているので乗りたがらないでうずくまり抵抗する牛もいる。

豚も知能は犬レベルと聞く、犬は何でも知ってる。問題は新聞に書いてあったが家畜の吐く二酸化炭素の量は馬鹿にならないそうで牛のゲップで地球レベルだと温暖化に関係しているそうだ。人類が増えれば家畜も増え吐く二酸化炭素の量も増え。殺生の数も増える。

2009年11月25日水曜日

若造

何事も深層に入らなければ真相には到達できない。
最近作詞家の丘灯至夫(おか・としお)本名西山安吉(にしやま・やすきち)さんが亡くなった。高原列車は行く、高校3年生等の数々のヒット曲を作詞されたそうだ。面白い点はNHKを経て毎日新聞社の記者をしながらコロンビアの専属作詞家をしてた事でペンネームも記者は押しと顔が大きくないといけない事を逆さに読んで付けたと言われている。

私が昔捜査講習を終えて看守時代に新聞社の記者が大きな顔をして態度が悪いのに閉口した。
まだ大学出たての若造が大きな顔をして刑事課長の机にそのまま腰掛けて体を捻りながら横柄な態度で自分の父親ぐらいの歳の差の人に対して口のきき方も知らず話しかけていた。
当時はなんて新聞社の人間は態度が悪いのだろうと思っていたが、今思えばずうずうしさの練習であり、ハッタリをかます練習でもあり若い記者の一人前になる練習をしていたのかもしれない。大学を出て全ての人間が押しの強い人ばかりでは無い中には気の弱い人も居るはずで、それを当時読み切れなかった自分はまだ逆の意味の若造であった。

2009年11月24日火曜日

中高年の認識

私は毎日5時に起きるが、朝と言っても今の時期だと真っ暗である。起きていると分かるが日の出時間と外の明るさとはかなりの時間差があって日の出時刻は冬になるとかなり遅くなるがそのずっと前に明るくなる。明るさとは日没時刻も同じで日没してから暫くは明るくやがてうす暗くなりそして完全に夜の暗闇がやってくる。早起きしているとこの長い時間帯をとても体感できる。

人の一生も同じでよく黄昏と中年を呼ぶが、元気ぴんぴんコロリの死に方でいたいと思うより。すでに老化が始まりそこを日没と考えればそこで体の寿命は終えている、ただ暫くはまだ明るさが残っていると考えればよい。中高年で明るさを求めるより、闇夜になって行く時に人様に迷惑や次の世代に引き継がなければならない事は多い。

多くの文化人の方を見ていても若い時に才能あふれんばかりの方でも話のまとまりや説得力や全ての部分が無くなっている。

2009年11月20日金曜日

起床

毎朝5時起きの私は今の時期は起きるとまだ空は真っ暗である。今日は霧がかなり出ていて私の家の周りの山々は畑からたちこめる霧で隠れて水墨画のようでもあり、大山から弘法山丹沢山系が全体に隠れて左側には富士山がかなり下の方まで雪に覆われすっかり冬景色であり。私には癒されるけしきである。

人にはそれぞれの価値観があって癒される空間が違い私にとっては自然の中で暮らし山や海に行く事で冬は大体がスキーで雪で覆われた山々を眺めながらのスキーは最高である。

遊びと言えば私の子供が最近ディズニーランドに行ったが、平日でありながら大変混んでいたそうである。
私も何度か行った事があるが、そこで感じたのは人工的な夢空間にはどうも私には馴染めないのと、帰りの電車で女性が淋しそうに電車でディズニーランド側の方に立ちながら眺めていて夜のシンデレラ城を見たいたのを印象に焼き付けている。
お一人で来ているようなのでたぶん年間パスポートの常連だと勝手な想像をするが、仮想空間からの別れが物悲しいのでしょう。できれば企画にはまった仮想空間ではなく、自分でカスタマイズした認識を持って現実を認識すればいつも幸せなこの世でいられるのだが。

2009年11月19日木曜日

スポーツ

私は新聞は日経新聞を読んでいるが、特に経済に興味がある訳でもないし社会面の事件事故には特段の関心がある訳でもない。全ての新聞を何カ月か購読して一番健康面記事特集が多い新聞はどれかと調べた結果日経新聞が購読年齢層も高いせいか記事が多かった。

最近のスポーツでサッカーのチームが表彰台にガムを噛んで上がり、壁にもたれかかり、放言をした事でひんしゅくを買い大会の賞金を自主返納する事が起きた。

その直後のスポーツ面の三浦 カズの定期的なスポーツ面に原稿が載っているがその内容である。事案が起こる前に作成した内容であるが。
サッカー選手は厳しく管理されたものではなく、各々の自己責任で徹底的なプロ意識で・・・・ベルディ川崎の黄金期には個々の自己が強く2連敗したら選手の中から監督交代を言うとあった。サッカーは個人技が合わさって己の個人をプロと言う自己責任にするのはどうかと思う。

私の子供はラグビーをやっているがなかなかラインを突破しいて出来るスポーツではなく団体性が強いスポーツだ、選手の大畑が学生時代ワンマンプレーをするなと言われたとあったようにスパースターであっても個人では勝てない。サッカーよりもより作戦やセットプレーが要求される。

私自身は柔道ボクシングと個人種目だった勿論仲間だが私は子供には団体競技の種目をさせたい、その為太極拳は幼頃からさせた方がいいし大会でジュニアのレベルは大人を遥かに超えている。しかし例え太極拳がかなりの上級レベルになったとしてもそれで終わってしまう。
早稲田のラグビーとか企業が卒業生の就職が有利になると聞いた事もあるが分かる気がす。同じスポーツでも団体スポーツでもかなり団体行動のレベルには差があるのを感じる。

2009年11月16日月曜日

鬱病の世界感と孤立感との線引きが難しい。


ある歌手が子供の頃友達も居なく浮いていたそうである。
原因は自分が変わっているからだそうだ。
しかし自分が変わっている事は自覚は全くないし正しい事だと思う普通に生活していただけの事である。子供の年代は異質な者を受け入れるまだ心の余裕など無いただ純粋なだけなので当然仲間同士から排除され始める。学年が変わろうが、学校が変わろうが子供達の感覚は異質なものを避ける。大人になってくると段々と他人の個性や異質な部分も受け入れるようになってくるから、その様な子供達もある程度仲間内でも容認されてくる。
ハリー.ポッターを読んだ事はあるだろうか?児童文学としては異例の長編で訳者の松岡 裕子さんもあとがきに命を削って書いたとあるが。ファンタージー小説として名著だと私も思う。この小説の場面で場面が重複して起こりそこに存在しているのだが、蛇に首を巻かれている、また戻りそこに存在している事実も確定できない。その様なまでもいかないまでも今は複雑な意識の取り方を繰り返している。ベントフ(超物理学入門)氏のF1F2F3F4F5・・F8・・・・・・・・・・・・意識には質量が存在してリアリティには階層があり相対性が重要視されて等と難しい話に入るが意識の奥深くは面白い。

2009年11月13日金曜日

可愛げのある人格

亡くなった林家 三平師匠が弟子たちに「稚機」でなければ落語家はいけないと生前に何度も言ったそうだ

稚:幼稚の稚いくつになっても可愛げのある人柄で無ければならない。

機:機転の機で相手を思いやり気がきかなければならない。



と弟子たちに話した事を聞くと同じ様な事を北野 武さんも言っていた。

この世界で残る人間は才能や芸で無く可愛げのある奴が残ると言っていた。それ以外は消えて行く。テリー伊藤等が売れなくなった芸人でも引っ張ってあげているのを見ていると人情派なんだなと思う。昔ミスターマリックさんがマネージャの暴露や色々で仕事が無くたった時にテリーさんから「バラエティなんだけど出てみない」と声をかけてくれたと番組の中で言っていた。それからバラエティに出始め仕事を少しずつもらい始めてと・・苦労されている。

個人的に苦労人のミスターマリックさんが好きでマジックの技術も凄いし、あの黒服の誕生がたった一枚のマジック用のスーツも質屋に出してしまった事から始まった事や、ホームページも一時期サングラスを外して丸メガネをかけて家でのドテラ姿に鼻の下にサインペンで髭を書いたりして。失うものはもう無いのではないのではないかと思った時期があった。今のマリックさんは以前のマリックさんに戻りある程度定期的な番組出演もあるし、誰かが引っ張ってくれなければいくら一流の腕があり、ショウマンであったとしても一人では誰もが何も出来ないのである。

2009年11月12日木曜日

おじいちゃん

テリー伊藤さんがサンタの人形で日本では可愛いサンタさんしかなかなか売って無くてふてぶてしいお爺さんのサンタや怖そうなサンタや服も日本では赤ばかりだが毛皮のマタギのようなファッションや地味な茶や色々あるそうである。



お店の人に「なんで色々なサンタのグッズを置かないの?」と尋ねた事があるそうである。



お店の人は「以前その様なサンタも仕入れたが売れないから」



との事だだからサンタ人形は赤の服に決まっていて可愛いサンタしかほとんど巷で見ない。



可愛いサンタしか売れないのである。



これは教訓に繋がる。



私は子供にいつも



「可愛い子供でいなさい」



「可愛い子供は可愛い大人になります」

すると会社の上司や社長さんから助けてくれるよ



「可愛い大人は可愛いおじいちゃんになります」



私:歳をとって急に可愛いおじいちゃんになれると思うか?



子供:急にはなれないと思う



私:かわいいおじいちゃんになりたいか?

子供:なりたい

私:だったら可愛い子供で居なさいと何度も我が子供に言っている。



勉強大嫌い成績は普通であるが、学校大好き友達と遊ぶのが大好きな子供に育っている、子供会の地域の子供で友達が居ないいじめに遭っているそうで小学生の段階でその様な話を聞くとその親御さんの心配は大変だろう。

2009年11月9日月曜日

人柄

私の知っている先生で日高先生と言う先生がいる、以前は300人位一日に来院患者が来るほどで込み方も相当だ、その先生に電話をするのは忙しい事を知っているだけにいつ電話したら良いのか躊躇して、休憩時間帯だと疲れている体を休めさせてあげたいし、仕事中だと忙しいとどちらにすれば良いのか迷う。



迷って仕事が始まる時間を見計らって電話をする

私「すみません、今大丈夫ですか」

日高「大丈夫だよ、なに~どうしたの~?」

と言う会話から始まる何時電話しても同じ対応である。電話口の反対側では物凄く忙しくて大変な混雑ぶりであるのが分かっていても絶対にいつも同じ対応である。よく相手の話を聞いてくれる。



業者の人から聞いた逸話であるが接骨院に間違い電話がかかって来た。その時先生は

「そう、ちょっと待っててね」と言って電話帳を取り出して電話番号を調べてあげて教えてあげたそうだ。

その間混雑している患者さんは待たされる事になるが、その様子を見ていてこの先生はいい人なんだな~と思うと話題になった。



昔私が開業する時「僕のアドバイスなんだけど僕たちは接客業なんだから」と親切に教えてくれたのを今でも覚えている。



鍼灸の知人でこれとは反対にそんなに忙しい院では無いのだが「今治療中だから、後後」と言ってプッっと切られてしまう先生もいる。その後に電話をかけ直してくれるが。暇な院ほどこの様な傾向にあるかもしれない。



「忙しい」という漢字の左側の部分は、りっしんべんと呼びます。 りっしんべんは、もともと「心」を意味する 心を亡くす事であり、どんな状況でも優しさを持ち続けられるかが先生の人格なのだろう。

人生相談

私はラジオの人生相談をよく拝聴しているが、思うところがあったので話題にした。

本日の話は子供が居て精神科に通う妻が居てその妻が鬱病で妻が夫を嫌い子供を夫とできるだけ接点を合わせないようにしている。妻は言葉の暴力、暴言を吐くが、病気がしている事だからと今までずっと我慢をし続けてきた、しかし最近では性的な虐待を受けているとまで言い始めて来たので離婚も含めての相談であった。

この夫はまだ下の子は8歳でもあり、出来れば何とか家庭を維持したいとも思いもあった。

相談回答としては最終的には答えは無くてあなた自身の気持ち次第で決めるしかないと言った内容であった。この相談を例にしても実際に答えを何が正しくてどれが間違いと言う絶対性は物事にない。

この相談者は耐えるだけのまだ気力が残っているのなら耐えなさいと言った事になるラジオの回答者の説明になる。
離婚をしても別れた妻や子供の事が心配で辛い思いをするだろう。離婚をしないで今まで通り妻が悪いのではない病気がそうさせているのだからと毎日の生活を耐える事で間接的に子供を守るか。

思いこみの強いのが鬱病の特徴であるから妻の症状はこれからも続くだろうが、私の知る限りの鬱病患者は長寿な人は居なく70代程度まででみなさん亡くなっている。この方も大変だろうが働いて収入を家に入れて家庭を守り出来れば子供の結婚をみて鬱病の奥さんを看取ってから人生を送って最後を迎える事が出来れば辛い人生であろうがそれだけでも人として素晴らしい生き方だっと思う。

2009年11月8日日曜日

気性

人それぞれ特性があり患者さんに好かれる先生がいる。私が昔荒川名倉病院で勉強させてもらった時に柔道整復師がかなりの人数勉強のために働いていた。その中で酒匂先生というまだ若い先生が居た。沖縄県出身でいかにも沖縄の顔立ちをしていたが、大変患者さんに人気があった。お年寄りの患者さんは酒匂先生にしてもらい為に順番を待っていた方もいたが、酒匂先生は大変に無口な先生でオーバーに言うなら患者さん皆が酒匂先生にしてもらいたと思っていても口には出せないし、先生も他の先生の手前わざとぶっきら棒な態度で接していたが根が優しいのを患者さんも感じるので人気があった。

交代でオペ室に助手として入るが酒匂先生がオペ室に入る時は先生しかしてもらわないと決めていたお年寄りは室長が放っておいて誰も何もしないで可哀そうな状態であった。

ただナパゲルンかセクターの軟膏を何こすりか患部に擦り込むだけの事だけであるが。それでもそれだけの差が出る。先生はよく室長(柔道整復師の中で長)から仕事上よく怒られていたがきっと今では大成してるのではないだろうか?

2009年11月6日金曜日

納得できる死に方

誰でも必ず死は訪れる。健康不健康に限らず、特にあんなに元気だった人がと周りの人が驚いたりするあっけない死を私以外の方も身近で経験はあるだろう。

ではどんな死に方が理想だろうか?それは病死である。納得出来ない人も多いだろうが病気で苦しんだ挙句の死がどうして理想なんだろうと思うだろう。

ほとんどの人が病死で亡くなり理想的な死を選んでいるのである。癌で死んで行く人の闘病日記で「癌になって良かった」過去の自分が病気になって振り返る様にさせてくれて後悔なく死ねると言って末期癌の痛みも受け入れて亡くなって行った涙の物語は何人も話がある。

死は必ず来る。それなら誰のせいでも無い。運命としか取りようのない選択肢である病死が本人家族に受け入れができる。

私が知る限り第三者が関係した人為的な要素が少しでも関係したら大変である。JR福知山線脱線事故JR羽越本線脱線事故等‥事故に遭ったご家族が相手方を恨み、また車による交通事故も加害者がどんなに謝り続けても決して許そうとはしない。テレビで母親が早稲田大学の大学院を卒業するのをやっていたが、子供が早稲田に入り10日足らずで歩道に飛び込んで来た車にはねられ亡くなってしまった。
母親は子供が果たせなかった大学生活の為に受験して早稲田に入り同じサークルに入り自分の子供と同い年くらいの同級生と学園生活をしてその後も大学院に進んだ。大学院卒業をしてから子供の事に心の整理はついただろうか?相手を許す事はできただろうか?
一生子供を思い続けあの時何で車が何の罪も無い息子の所に飛び込んで来たのだろうと思い続ける。
テレビで列車事故の遺族が放映していたが一生許せる事では無いといって恨みが募っていた。
私の知人が日航機の墜落機に乗っていた。事故が起こるたびに慰霊祭の石碑が作られご家族は高齢で動けなくなるまで毎年慰霊祭に通う。そして「この様な事故の事を風化させてはいけない」と語り生涯の人生の事件として残り続ける。

命を落とさないまでも事故で腕を無くしてしまった人が私の患者さんでもいる。「俺も馬鹿だったから不発弾の信管に素手で触っちまって」と後悔もあるが腕が無くなってしまっても誰のせいでもないと片腕で結婚もして子供も嫁いで妻も先に病死して、本人も体も弱り人生の終わりも近づいている。
温厚な性格の方で納得できているが。これが他人の責任で自分の腕が無くなったら大変である。俺の人生は奴のせいで壊されて今もこんな辛い思いをしていると人生観までがおそらく変わってしまうだろう。

世の中の出来事を全て受け入れて死と同じものだと思い。今命が続いている事に感謝の気持ちを持つ事だ。

2009年11月5日木曜日

緊張

11月3日に太極拳全国交流大会が行われ見学に行って中国の先生の演武を見てきたが、私は一階フロアーの審査員席の直ぐ後ろからの近くで幸いにも見る事が出来た。

24式太極拳の制定者・李天驥先生の娘、李徳芳先生ですら、緊張で汗が出て会場は寒い位であったが緊張性の発汗は気温とは無関係である。

24式は幼少の頃から飽きるほどやってはいてもそれでもあれだけの関係者の中での演武は緊張するだろう。李徳芳先生も緊張したと言いながら汗を拭いていた。その後の李徳印 先生の剣でも演武中にふらっと僅かだが揺れた時があった。徐 偉軍 の演武もかなり前からウオーミングアップをされていたそれを見させていたが実際の表演では少し抑え気味になっていた気がする。限界まで大きな動きをすれば当然リスクを冒す事にもなるしある程度の安全範囲の演武だった気がする。

今回の事でも思うが、まして一般私達の心のレベルや全ての事に対して心の影響を排除する事はできないのである。

2009年11月2日月曜日

呼吸法でなぜ逆腹式なのか

逆腹式呼吸は気功でも使うが、SOTの第一次呼吸メカニズムの説明が分かり易い。できるだけ逆腹式呼吸をした方がいい。初歩であるが逆腹式呼吸を説明すると普通は吸気の時に横隔膜が下がり腹の部分が出る形になる。これを出さないようにしてこの圧力を背中側に送り背中が出るイメージで呼吸をする。
詳しくは呼吸法の図で分かり易く説明してあるのがマンタクチャー著「タオ人間医学」エンタプライズ社に記載してある。

なぜお腹を出していけないかと言うとSOTの脳脊髄ポンプの誇張法を自立的に行う為の物と考えられる。プライマリーアーチの形成の中に脊髄液があり脳の第四脳室で作られた(厳密に言うと水道以前から)脊髄液が脊柱管の中に溜まっている。
吸気により肺に空気が入り背骨が起きて真っすぐに近い形になり圧力が高くなり脳側に脊髄液が戻り呼気により背は緩み圧力は下がりS字は強まり脊髄圧力が下がり脳側からの脊髄液がまた脊柱管側に戻っている事を繰り返している。
もちろんこれは弱い波動であるが、深呼吸をする事によって更に逆腹式にする事によって腰椎の前湾が弱まり、より背骨全体が真っすぐに近い形になるので効果的になる。


太極拳で背骨を真っすぐにする姿勢があるが効果的でもある。太極拳は健康にいい運動法である。
明日は東京代々木体育館で太極拳の大会があるので朝から行ってくる。


単純に格闘技であれば高校大学と私は7年アマチュアボクシングをしていた経験からボクシングの方が合理的で長けているが型のスポーツは強さを競うのでもなく生涯健康法は素晴らしい。

2009年11月1日日曜日

他人事にあらず

皆は不幸を必然だとは認識していない場合が多く誰かがその目にあうものだと思いつつも偶然がやってきたと思うだろう。

「ホームレス中学生」田村 裕著 ワニブックスでの貧乏生活は誰でも明日に起こる事だ、私も段々と歳をとって来たせいか苦労話には泣いてしまう、本を読みながら、映画を見ながらすかり涙腺が弱くなってきた。「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント 」だったと思うがロバート・キヨサキさんが車で寝泊まりをする極貧時代の体験をかいてあったが、私は「金持ち父さん貧乏父さん」の堅実なイメージが強かっただけにこの人の投資に対するエネルギーを感じるし、いつまた極貧生活に戻るかもしれないリスクを負っている不確実性を思った。

患者さんの生活でもかなり不安定な生活で何とか日々を送っている方が多い、いつそのバランスが崩れるか私の方が気にしてしまう。しかし私とて同じと考えていつ何どきどうなるか分からないと考えていつも現状に感謝している。