2009年9月28日月曜日

死人

道教では人は魂と魄からなり魂は精神魄は肉体を支え魂は天で陽気魄は地で陰気この天地の気が合わさり人間ができるとされるが死ぬと魂魄は天と地に再び戻るとされている。本来は土葬して腐らせてから骨だけになってから川で骨をたわしに近いようなもので奇麗に洗い乾かして白骨の骨模型の様にして骨壺にいれた。魄は白骨に残るとされて、その同じ気骨を持った子孫に受け継がれて行く。



白骨の骨を扱ってもなぜか怖さもなければ逆に懐かしさに近いやがての将来を思い浮かべる。

が、・・・しかし死ぬまでの短い時間の病人の魂が肉体から離れる間際の人の苦しみを、激しい人のを観たせいか未だに恐怖があり、やがて順番で己が断末魔で絶叫して口と鼻から血を出して死んで行くのに覚悟は出来ていない。



戦いと同じで向って死んで行くのには怖さはないが、逃げて恐怖と同居しながら死を避けているようでは恐怖に負けてしまう。



死体に怖さはないと納棺夫日記にも書いてあるが、たしかにその通りだ周りの忌み嫌う恐怖感が何故かその場にあり人々が恐れと恐怖に引き攣った顔をしている。周りが死体を恐怖の物体にしてしまっている。



それでは自分の番に回ってきた時に恐れが心を支配してしまう。一般的な葬式での生老病死や輪廻の考えが吹っ飛んでしまっているのが人々だ。

死体

死体についてであるが余程の臨床に携わっている人以外は知らないだろうが人間程腐りやすく強烈な異臭を放つ物は無い。

夏場であれば1週間で腐って条件にもよるがそこからはウジだらけである。死体がいかに臭いかは実際に腐乱死体を嗅いだ者でなければあの強烈な臭いは分らない。例としてある警察官が腐乱死体を扱って異臭の為活性炭マスクを3枚重ねをして死体を処理して作業着を脱いで署のシャワーを浴びて背広に着替えて家路に帰る途中山手線の車中何故か自分を乗客が避けるそうでその警察官が不思議がり家路に帰り玄関を開けると出迎えた奥さんが「うっ、この臭い何?」と声を出した位臭い。

私も臭い経験をしたが半端な臭さではない。死体霊安室では検死の後当時は死体に酢を一升そのままかけていた。すると臭いも弱まるがこれを今しているか?もっと科学的な消臭剤をたぶん噴霧しているとは思うが。

臭いに関してはどうでもいい事で、人は汚い物でj他の動物の死体でこれほどの臭い事を私は知らない
子供の頃猫や犬の死体が落ちていたが腐ってウジが湧きそのウジを蟻が運び最後は骨だけになるがそんなに臭くは無い。私は知らないがたぶんサバンナのしま馬や象であってもそれほどの異臭はしないだろう。

人は汚いものですぐ腐りゴキブリや動物が汚いと言うが菌の数からいうと人がもっと汚いのでは無いだろうか?奇麗にお化粧した女性でも口から口臭が匂い、風呂に入らなければ体臭もする。犬が強烈な口臭と言うのはあまり聞かない。足でもおやじに限らず若い人でも靴を脱いだ後の足の臭いが臭いのもよくある。

中国で人は魂を持った糞袋というがまさしくその通り。動物よりも色んな物を食べて珍味や発酵食品やありとあらゆる物を口にしている。地球上で一番汚いのが人である。その人間が殺生して多くの動物や植物に生きる為とはいえ殺している。

その人間も魂糞袋の生命体の寿命をもって離れていく。ようは死んで行く。

2009年9月27日日曜日

納棺夫日記

今度地上波でおくりびとが放映するらしい、私は映画を観ていないがヒット作ではある。

原作である納棺夫日記を読んではいる。内容は確かに日記ではあるし宗教がそこには出てくるが映画には宗教の部分がカットしてあるらしい。宗教書を無宗教の私が数多く持っているのも鍼灸師だからで生死観は死んでいく親や周りの人々老いて行くおのれ自身から自ずから避けていては順番に必ず訪れる出来事なのだから。

納棺夫日記の死体の様子は私も短い間だが警察官をしていたので死体を扱ったりしたし、また私の子供の頃は土葬で棺ではなく棺桶で屈曲した形で埋葬した。本に書かれている事位の知識はあったが生死観は作者の青木 新門さんと同感である。五木 寛之と通じる生死観と私は勝手に思っているが。

死に関する本は面白い、と言うか自分がいかにこれから残り生けて死すべきかを問うていくからで、私が読んだ本の中で常に死を意識している人の方が何も考えない人よりも統計的には社会的経済的地位が高いそうである。アメリカのデータではあっても日本にも当てはまるのではないだろうか。

2009年9月25日金曜日

風水は天地の気の流れ龍脈を取り込む為にある事を考えてみても脈は根源である。
問診でも必ず脈を診るし私の家の犬ですらその時の状態でかなり脈が違う。
もちろん死んでしまえば脈は無くなるし、脈に関心が必要だし人生で大切なのは人脈だと思う。
人脈は金脈であり、海の向こうの大統領選でも政治資金の差がクリントン候補を破ったを言われている。

お金が紙や鉄と思うかも知れないが実は経済活動の有機物である人間の生み出したものであるから人と関わって生まれたものである。

己の余生は治療と子供の教育にあるが子供には学問より大切な物を教えてあげないといけない。

2009年9月24日木曜日

飛騨高山

母親を誘って飛騨高山にシルパーウイークで旅行に行って来た。
やはり高山まで行くと弘法山の自然はまだスケールが小さい泊まった宿は古い農家の家の部材を使った建物で72歳の母親は農家出身であるので懐かしがり、また今度は妹夫婦を誘って来たいと言っていた。私も子供の頃は藁ぶき屋根の農家で育ったので懐かしくまた母親を連れて行きたい。

この位までの自然は癒しであり人に優しい心地よさを感じるが現実の自然は人には厳しくリゾートが現実ではなく過酷で自然に近づけば近づくほど冒険になる。

この宿も冬季は閉鎖だそうで水も凍って止まってしまうし暖房施設も真冬までは対応できてないそうである。

2009年9月21日月曜日

昼食

昨日は天気も良かったので子供のラグビーの練習が終わってから昼食は丹沢でバーベキュだった。
里山に暮らすと山が近くにいくらでも身近な為気軽に屋外バーベキュが楽しめる。

家族で焼肉屋に行くのも良いだろうが、やはり屋外で炭火で肉、野菜、魚類を焼いて食べるのが美味しい、川べりについたら川と山の緑を見ながら食べるのが都会の人には出来ない贅沢だろう、この時期サンマを焼いて煙をいっぱい出して焼いたのが美味い御馳走だ。

家庭のキッチンでグリルで焼いたサンマより炭で煙を出したサンマが季節感が出てまた格別だ。
弘法山近くは丹沢に近いので気軽さを報告した。

私が東京で暮らしていた昔隣の家のフランス人が狭い軽自動車1台分位のスペースでよくバーベキュをやっていたのを思い出す。外国人だからパーベキュをするのかそれとも特別なのかは分らないが年間通してよくやっていた。

我が家は田舎なので駐車場7台のスペースがあるので自宅でもやる気になれば可能だが、やはり少し車を走らせれば川べりの素晴らしい景色があるのだか昔ら引っ越した頃は自宅でバーベキュをしたが最近はした事は無い。

2009年9月20日日曜日

この年まで知らなかった

昨日も太極拳に行っていたが、たまたま私の太極拳の一つの流派の楊名時で帯の結び方が違うと分かった。
私は中学生の白帯から柔道着を締めているし、三段で帯の結びは慣れていると思っていたが。

楊名時では右に名前左に楊名時太極拳と名前が入ったのを正面に出して締める結び方で、柔道の普段の乱取り試合の結び方と違った。

まあ私からみれば名前がどちらでも裏になっていても関係ないとは思うが、それが決まり事であればそう従うしかない。

2009年9月18日金曜日

修理

今の時代エコと言われているが、ずーっと前からそうである。今の車は15年乗っているがあと20年は乗る予定である。15万キロ乗っているが手入れは怠らない外見もしっかりしている。

治療の先生が物を大切にしないですぐにダメだからと言って新しい物を買っていたり車のタイヤ交換すらも出来ないのはどうかと思う。私からすると何所がどうしてダメなのかを直ぐに考えて何とか直せないものかをすぐに考える。傘にしろビニール傘を買い代えている人もいるが傘の骨の修理など簡単で誰でも直せるがそれをしない人が多い。

私は靴でも何でも直しているその為30年近く経つ靴すらある。
ジーンズなどは私が大学1年の時にリーのジーンズを買ったのを今でも持っているし体形が変わらないから履いているこれも34年経つ代物だ丁寧に使い直す事をすれば体も物も一生持つ事を実証している。

2009年9月17日木曜日

治す

治療の喜びは当たり前だが、何でも直すのが好きである。

昔は中古の車を買ってきては解体屋で部品を買ってきて修理していた。トヨタの部品センターに業者でも無いのによく買いに行ってたなー。
4速マニアルを5速に乗せ換えたりキャブ交換、マフラーをエンジンについているマニフォールドごと交換。事故ってもフェンダーボンネットグリルを解体で買ってきて交換して。

医療機械も自分で直してる配電図と部品さえあれば後は電話確認すればOK

2009年9月16日水曜日

血が騒ぐ

今日も太極拳だった私はボクシングと柔道と格闘技経験ばかりしてきた。
ボクシングは高校大学と7年して柔道は中学から始め時々抜けてやったりして3段です。
格闘技ばかりしてきたが、もう一度人生がやり直せるなら今度は団体競技をしてみたい。

この年でも素手なら若いものには負けない気で居る。ステゴロと言うが。
さすがにジムでのスパーリングにはなれないので太極拳を始めてあっという間に時は流れた。

2009年9月15日火曜日

お気に入りの本

今まで読んで感銘したり、感動したり、ためになったり、色々な本と出合いそれなりの評価があるが、人生最大の本というと「ベントフ氏の超意識 物理学入門」だろう。

随分と長い題名である、内容も私には面白いと思うが、意味不明の本かもしれない。
ピンク色の表紙で288Pの小さな本であるが、私から見るとベントフ氏はただ者ではない人で凄い頭脳の持った人で私の様な人間でもこの世界にある現象を説明している。

この本は絶版になっているし、ベントフ氏は宗教家でもないし、科学者でもないし何の肩書を持たない一般人であるが。若くして死亡しているのでその後の本はないが事故に合わないで持説を次々と出したら凄い事をやらかしたであろう。

まだ科学が未発達の時代で宇宙が今ほど解明されてない知識でこれほどの宇宙理論を展開したとは信じられない、それもそれを語る資格すら持たない人が意識とは変性意識状態の理論展開と、かれこれこの本と出合って20年ほど経つ。

2009年9月14日月曜日

指導者と治療師

太極拳を例としてコーチ(先生)と生徒(練習生)の関係があります。
コーチはつい熱が入りここをこうした方がもっと良くなりますよ、とかダメダメそうじゃなくてこうですよとか指導します。しかし先に始めているのだから上手で当たり前の事で、その指導をする人も何年か前そうであった事で指導者の理論や癖をそのまま受け継いでいる。

どうしても太極拳も自分でやっている流派が一番だと誰もが思っているそうで、中国では武術の流派が9000あってその長である老子がそれぞれが自分の流派が一番だと思っているそうです。
そう考えると逆に型はどうでもいいような気にすらなってくる、楽しくコーチと生徒がその場を過ごせばそれで一番ではないかと教えるのではなく教えられる事を考えると実は両方とも生徒でありどちらが秀でているものなど存在しない世界なんです。

わたしも中学生の頃の愛読書が「壮快」という健康雑誌で健康本を買うのが好きな健康マニアでした。普通は鉄道マニアの鉄ちゃん鉄子とかがマニアの代名詞で今はアニメの好きな人が多いらしいですが私は健康の健ちゃんとでも言う子供でした。子供が酢大豆や紅茶きのこや真向法をして学校帰りに後ろ向きに歩いたり、妹のお年玉を言葉巧みに騙して二人のお年玉でぶるさがり健康器を買ったり(昔は高かった)そんな事ばかりして健康の知的興味が強かった。

鍼灸の本科柔道整復の学校を出た後開業してからも東京で接骨院を開業して盛況で多い時には日に120人ほども来たりしたので金銭的に余裕から各種セミナーに出まくりお金をずい分と使って勉強をした。うちの奥さんがセミナー代でベンツが買えると昔言ってた(笑)セミナーの終了書など山ほどある。

ですから子供の頃から病気に無縁の体ですでに今の中高年が読むような本を読んで30年以上治療に関わり子供の頃の健康オタクを入れると生まれた幼い時を除くと人生52年のほとんどを健康に関係していたとも言えます。

つい患者さんに健康管理や東洋医学とかを指導したくなりますが太極拳を同じ考えに立ち戻ると、どうでもいい事で立て板に水の話し方は患者さんに一番嫌われる話し方であり、私が少し前に少し健康を聞きかじった、それは絶対ではなく同じ対等な立場であり、私の方が仮に同年齢であっても先に死ぬ事も十分にあり、この世にものさしは存在しないし絶対値もなければ基準もなく俗世から離れていく。

2009年9月13日日曜日

土曜日

土曜日は稽古に小田原厚木道路を車で走っていたがかなり激しい雨で小田厚にも水たまりが出来てワイパーを高速にしても前が見えにくい状況であった。

制限速度は70kであるが私の車は60kで走行していると追い越し車線を軽自動車が追い抜いて行ったが危険に感じた。私の車は4WDであって運転免許も大型、大型特殊、二種免と幅広く免許を持っているが所どころかなり水が溜まってタイヤハウスのゴーっと水の中を走る音がする状況で速度を落とした走行をしていた。

軽自動車はタイヤの幅もないし当然グリップ力も劣る筈なので悪天候はより慎重な運転をされた方がいいと思う。

2009年9月11日金曜日

宗教

患者さんと接していると宗教人口の多さに驚く、表向きには言わないでも隠れキリシタンでは無いがほとんどとまでは行かなくてもかなりの数である、特に新興宗教系は相当こちらと親しい間柄になってこの宗派に入っていらつしゃったんだと気が付く。

私の本棚は健康関係か宗教関係の本しかない、私は別に何も宗派には属してないが宗教書を読むのが好きである。宗教は哲学でありかなり高度な学問だと私は思う。
だから宗教に入っていらしゃる患者さんにとって理解してお話を聞いたりしている。面白いのは例えば夫婦でも神道系の天理教と世界救世教と違ったり色々な組み合わせがある。

宗教は哲学であり、私は神話と考えている。学者さんは○○の謎とか色々な疑問点や歴史上の記述のすり替えが列記されているが、読ませていただいてとても面白いが神話と考えれば疑問でもなくなってしまう。

般若心経ひとつ読んでも解説書によってかなりニュアンスが違う、何冊も読んで参考にさせて頂いてる
ブッダの教えが仏教からこれほどの宗派に別れてしまうのも十分うなずける。

宗教は皆正しい事を言っているし正しい理論であるが、他人にとっては一歩間違えると暴力になる。
家族がいたとしてその人を良くしようと一生懸命宗教活動を強制したとするとその強制された側は精神的な暴力を常に受け続け心に深く歪みと苦痛を受け続ける、強制している側は正しい事を勧めて正しい事だから何の問題も無いとその事にまったく気付かない。

宗教は言い換えると暴力性を秘めているからどうしても歴史的にも現代でも宗教対立や抗争が起きる。

他人には自分と違う世界が存在して価値観も違うのだからそこを理解していれば暴力ではなくなる。

2009年9月10日木曜日

長寿

段々と年々平均寿命が延びています。
これは明らかに医療が充実して誰もが保険を使い治療や手術をしたりした結果だと思う

健康管理を国民全体が徹底した結果寿命が延びたとは言えません。
殆どの成人中高年は生活習慣病に罹り高血圧や脂肪肝を当たり前の様に持っていて例え肥っていても年だからと言って食事管理や生活の中で運動量を増やしたりはしない。
食事は食べたい物を食べたいだけ食べる人の多い事その為殆どの人が中年になると太ってしまう。

犬をみても殆どの犬が肥満している。私の犬は定量しか与えないが、食欲旺盛なのでもし食べたいだけ与えてみたら今の3倍の量は食べるであろう、犬も太ると病期になる確率がかなり高くなる、人も動物だ気をつけた方がいい。

私がまだ若い頃鍼灸学校に通っていた頃呉竹学園の代々木校舎の5階が教室であった。1台しかエレベータが無く順番に待っている。私は階段で駆け上がってエレベータを使わない、何故ならエレベータ前に皆が煙草を吸ってその前が煙で凄い状況だったからだ。
たばこを吸い、運動もしないで不健康な学生が治療を志している。

資格者の勉強会でも日焼けした白い歯の筋肉質な治療の先生など見たことがない(若い先生を除く)
皆年配の先生は疲れ切ったお顔でどす黒い顔で患者さんより病的なお顔をしている。

2009年9月9日水曜日

稽古

水曜日と土曜日の夜は稽古日だ食事風呂も遅くなり、就寝時間も遅くなる。
何より筋トレが出来ない。
健康の為に始めた太極拳であるが、不規則な原因になっている。

始めた以上死ぬまでやるが。指導員は休む訳にはいかない。

2009年9月8日火曜日

今回の経緯

以前からパソコンに多少不安定な動作が見られるようになっていましたが、バックアップも取っているからまあ使えるだけ使おうと言う気持ちで使っていて案の定の結果になってしまった。

やはり基本のその時点でハードディスクを交換しておいた方が良かったです。
今までも度々ハードディスクを交換してOSを新しいハードディスクに入れてからDVDに付いているウルトラATAの差し込み口から古いハードディスクを差し込みデータを読み込んでいましたが今回は新しいパソコンを購入したらハードディスクの差し込み口が新しい規格のシリアルになっていました。

もうこのパソコンも7年も使っているので当然の事でメモリーもこのパソコンのMaxまで増やしてますがもう時代を感じていました。

ハードディスクの口をUSBに変換する接続を買ってきましたが認識をするものの読み込みができない状況で新しいパソコンが来るまで待つ事にした。
古いパソコンに新しいハードディスクを買ってきてOSをいれていつもの読み込みをしようとしたところ異常が発生し急にハードディスクが強力な磁力を起こして危険な状況になったのでパソコンの電源を落として難をのがれた。
幸い今回の事で古いパソコンのダメージは無さそうである。
それほどパソコンに詳しい訳ではないので取りあえずハードディスクが原因だったと思われる。

2009年9月7日月曜日

パソコンが壊れてました

パソコンが急に立ち上がらなくなり、デルさんに注文を入れてそこから届くのに日数がかかり何とか壊れたパソコンからデータを取ろうとしましたが結局ハードディスクが損傷したため駄目でした。

新しいパソコンは2コアで4メモリーなのでやっぱり早いですね、今は古いパソコンでハードディスクを入れ替えて必要ソフトを入れてテストがてらブログを入れてます。
もう7年も使っているのでそろそろ基盤自体がいつ壊れるかも。今までオフィースは古い2000を使ってましたが2007を新しいパソコンで使っているとやっぱり我慢しないで新しいのをその時その時で買った方がいいのかもと便利さで思いました。