2009年12月24日木曜日

幸せメガネ

中国ではわが子を豚児と呼び人前で褒めてひんしゅくを買うような賢く無いような事を慎むとしているが、ある意味親馬鹿こそが幸せの原点ではないかと思う。

我が家の愛犬でメスのチワワがいるがしぐさや犬なりに考えた行動をみていると可愛くて仕方がない。
どんな若い女性アイドルが口角スマイルをしたとしても彼女のクリっとした瞳で首をかしげて見上げる純真な顔にはかなわない。犬好きで他の犬も可愛いがなぜか自分の家の犬が一番可愛い。

わが子も同じで私は授業参観や個人面談に行くが、幼稚園の頃から今の小学校3年生であるが、担任の先生から頭がいい、頭の回転が早いと言われて嬉しくなる親馬鹿である。
しかしどうも他の情報を集めると最近は昔と違ってあまり個人面談で子供の欠点を言わないで長所しか言わないようである。子供に言わせると「みんなに同じ事言っているんだよ」と言っているが(笑)
成績も勉強嫌いもあってそれほど良くは無いが他人から見たら普通の子供でも一番可愛い。

SOTの大家宮野 博隆先生に私は師事してSOTを教わりました。宮野先生は多くの患者さんと共に多くのセミナーを開催して私の様な弟子になる教わった治療の先生は相当な人数でおそらく日本一SOTを教えていらしゃるであろう。

抜群の説得力で何をするにもカッコイイ先生である。その先生にセミナーが終わると必ず何人かで先生にお伴で飲みに言って飲みながらSOT談義を聞き入っていたものです。

その中で宮野先生は残念だが君たちはどんなに頑張ってもめぐみ「宮野先生の二女」と同じには成れないとお話をされていた。宮野先生から相当な先生がSOTを教わったが誰もみぐみさんの治療を超える事は出来ないそうで理由は自分の娘であるからで自分のカテゴリー治療をした子供を抜くレベルまでは到達できないと語っていた。
また奥さんの事も褒めていて「女房の言っている事はみんな正しい、その通りだからこっちは従うしかない本当に正しい事しか言わないんだよな~」と奥さんに絶大な信頼を置いていらした。

実際宮野先生の実の娘であれば相当な実力である。
これは漢方の大家である荒木 性次先生の娘さんが薬剤師とはならなかったが私は娘さんとは直接の接点は無いが薬剤師の平田 健先生から聞くには誰よりも漢方に詳しいと伝え聞いている。幼少の頃から古方を学んでいたら敵う訳がないだろう。

自分の子供や家族を見る視点が違う価値観が違う所に幸せがあると思う。野球の元野村監督が幸代夫人に「昔はイイ女でな~」と未だに幸代夫人の言う事に従っていられる。一連の方々の家族を語る時の顔のほころび方を見て人は家族に色の付いたメガネ幸せメガネをかけているのが一番だと思う。

2009年12月17日木曜日

値段と価値観

最近八味丸を飲み始めた、八味地黄丸八味腎気丸とも同じである。私が習った古方の方術親和会では八味腎気丸と呼ばれている。
馬場先生の馬場薬局の八味丸は最高の生薬を使って作っているので相当効果があるだろう。作っている所を見ても納入されている漢方薬の品質といい値段は確認していないがいかにも効きそうだ。

私は自分の飲む分は松浦あたりの安価なのを飲んでしまっているが、毎日1万歩は歩いているのでかなり他の同年代の人から比べると健脚だし腎気を補っていると思う。

漢方薬も品質には等級があり拘れば拘るだけの事はある。私は麻黄も普通のであるが、方術親和会では去節を使う。荒木先生の最高の物を使ってそれだけのお金をお客さんから頂くと言った精神が今も行き続けている。
最近は世間では何でもデフレではないが安いもの安いものと値下げ競争になり、最近中華街に行ったがバイキングのお店が増えた。ラジオでの聞いた情報であるが2000年から今まででお店の4割が経営者が交代して昔ながらの商売のやり方をしていた人は店をタタミ新しい人が入りその人達の事を新華僑と呼ぶそうだ。テレビで高くて旨いのは当たり前と安くて旨い店の紹介を頻繁に番組で放映しているがこれは喜んでいいのか複雑な心境である。

中国の商売精神は分かる人に本物をあげるもので騙される方が悪いと言った商売精神がある。
私の先輩の薬剤師が中国から送って漢方薬を送ってもらったら杏仁と桃仁を混ぜて送られて来たり(薬の知識がある人ならぜんぜん値段が違うのをお分かりだろう)
箱の底に鉛の玉が入れてあったと聞いた事がある。私も夕食をあるお店で食事をしたが、どう考えてもこの値段ではこの品数と料理を出せないのではないかと心配してしまうほどであった。新華僑の経営技であるが私も長年商売と言うほどではないが派手に利益を得た覚えもないが適正価格というものがある。それをはるかに超えるやり方は疑問である。

関西人も商売は過激で広告の品でリポD1本10円とか客寄せでやったと聞いた事がある。お客さん一人に100円づつ現金を渡すようなものであるがそういうやり方に人々が段々慣れていくのはある意味相手の思う壷である。

2009年12月14日月曜日

天才青野と大河原

昔ボディビルマガジンで同題名で特集記事が載っていた。天才青野と言われる人物は私が柔整学で一緒だった青野の兄に当たる人物で青野は明治大学の柔道部を経て帝京柔整に入って来た。

兄青野は子供の頃からスポーツ万能の少年で何でも出来た子供と書かれている。柔道もかなり強く力も人一倍強かったそうである。しかしながら恵まれた身体能力を持ちながら飽きっぽい性格で柔道もその後辞めてしまう。

文面を省略してその後明治大学に大河原と言う学生が入りボディビルが好きでジム通いをしていて、仲の良かった青野兄を自分の通っていた連れて行ったそうである。天才青野は飽きっぽい性格ゆえに特に何でも出来てしまう為に大学までスポーツを特に力を入れた経験がある訳でなく筋肉トレーニングをした経験も無い。

大河原がベンチプレスをしてみせ青野もやってみてと勧めると青野は見よう見まねで軽々と100㌔オーバーを上げてしまったのには驚き、大河原はトレーニングをしながら今度はフライをするように言った所青野はウエイトトレーニングの経験が無いものだからダンベルフライを勘違いしてディップスを腕の力だけで水平に体をさせそのまま腕立て伏せを軽々と体操の選手の様にして見せたそうだ。

大河原は驚き今まで自分がコツコツと体を鍛えやっと100㌔を上げるようになったのを友達の青野がたった一度の経験も無いのにそれを軽々と上げてしまい。水平ディップスをして見せたのだから。大河原は友人青野にボディビルを勧め青野はボディビルを始めて僅か数ヶ月で大学のボディビル学生チャンピオンになってしまう。

その後天才青野はたぶんに漏れずボディビルも辞めてしまうが、大河原はコツコツとボディビルを続けボディビルで有名になる。

肥田春充先生は幼少の頃虚弱児だったとされ痩せっぽっちと呼ばれ体を鍛えたとある。
しかし体質は変わらない無いものに憧れるのは自然な事であるが持って生まれた天性は大きい。ボディビルを始める人の殆どが痩せっぽっちか背の低い人が多い。ボディビルの頂点を極めたオリンピア優勝者のアーノルドシュワルツルネッガーも子供の頃は痩せっぽっちでコンプレックスからボディビルを始めたそうである。

しかし本来自然にある筋肉と違ってトレーニングによって付けた筋肉は落ちるのも早く維持にはかなりの努力がいる。

首や腰や肩関節を痛める者も多く努力は大変な物である。
自然体でいいと思う。何の努力もしなくても凄い筋肉がある体質の者もいるし、痩せっぽっちもいれば肥満体の者もいる。健康法はその人の体質を一番に考えるべきだ。

2009年12月12日土曜日

虚勢と治療

昔東京の神楽坂で接骨院をしているとスポーツをして体を壊す人が多く来院して、口コミでエアロビックスのインストラクターが6台のベットにずらっと並んで治療を受けているなんて光景があったりする。エアロビックスで足や腰がボロボロで痛みを我慢して仕事をしている。しかしスポーツジムのスタジオではそんな事は一言も口に出さずに真っ黒に日焼けした体で白い歯を見せてニコニコしながらステップを踏む、当時は今のジャズダンスステップが無くラン中心だった為よけいにインストラクターに負担がかかった。

インストラクターの患者さんは<私は、大嘘つき>と自分の事を言っていた。皆結婚してエアロビックを辞めたいけど結婚する相手も居ないしとか言っていた。
ヨガの先生も股関節を痛めて来ていた。ボディビルダーの方も来ていたが当時の中野ヘルスと言えばボディビルダーの頂点である。しかしある方がボディビルダーは本当に見かけ倒しですよ。すーぐ風邪引いて弱いんだからと中野ヘルスでチャンピオンを取った方が言っていた。腰は悪くなるし体にちっとも良くないと自分で言ってやっていた。

昔上田馬之助(プロレスラー)の特集をやっていた交通事故を起こして脊髄損傷を起こす前の時点である。リングで暴れてリングを降りると激しい坐骨神経痛で歩行困難でスタッフの肩を借りて歩いていた。それでもリングでは元気に振る舞いに立ち続けていたがその後に大きな交通事故があったからボロボロの体にトドメを刺された形だとおもう。

治療の先生で自分が腰痛で患者さんの腰痛を治療している先生が私の知ってる人でいるが、肩を壊して治療中に痛みを我慢して施術している先生もいた。患者さんには健康を装い体調を隠すのである。そして自分は健康なんだと言い私みたいに健康になりましょうと自分は治療サイド側であり患者さんサイドでは無いとしている。

私としては先生が病気を持っているのであるならば私も患者さんサイドなんですよと言ってしまった方が正直でいいのではないかと思う。よく患者さんから先生はこんなに患者さんを治療して先生はどうやっているのですか?と昔から同じ会話を聞かれるが今は患者さんと同じで他で私も体の手入れをしてもらっているのですよ。と答えている。妻の治療とかはできても。四肢の五行穴経絡治療は出来ても入念な全身のマッサージは出来ない。

本来は全員が患者さんサイドの筈。

2009年12月11日金曜日

虚勢

日曜日に寝込みずっと床についていてようやく昨日平熱になり今は普通に事務仕事をしてる。しかし今回の風邪は治りにくかった、熱が上がりなかなか下がらずに時間がかかってしまった。

そんな出来事よりも私が感じたのはだいぶ歳を取って来たなーと自覚した事である。
昔は接骨院を風邪も引かずに休まず、例えインフルでもマスクをかけて休まず院にでる事をやっていた。今から思えばインフルエンザウイルスをまき散らしていただけだったのに。

まだ40代までは健康に見せる為に虚勢を張っていた日焼けマシンに入り日焼けをして、必要以上の食事の量を取りプロテイン等のサプリメントを取り体重を増やし筋肉を増やし69㌔位まで増えベンチプレスは100㌔は上げていた。

しかし所詮痩せ蛙のお遊びハワイのスポーツジムでトレーニングしたら100㌔を軽めの準備運動で素早くスコスコと上げてそこからドンドン思いウエイトを加え明らかに格の違いを見せつけられた。
体力検定1級の私で思ったのは日本の検定基準が甘いなーとおもった。

私は患者さんに健康虚勢はいっさい言わない私もあなたと同じですよ、今のところ大丈夫なだけですと言ってる。

2009年12月4日金曜日

抱朴子

読まれた方も多いであろうが私は2冊持っている。安い本であるから読まれた方がいい、仙道(道教)の不老長寿の本であるがこれだけでなくこれをきっかけに若い治療に携わる先生は命を考え直す事もできる。
命ははかない短いものだ抱朴子には合理主義と神秘主義が共存していると本書でも書かれているがそれはどの宗教でも同じであり人として当然あるべき姿現実正しい心を分かりやすく解説しながら神の部分に係る所からとにかく信じなさい、神はいますとなる?。

訳をした村上 嘉実も欲望の浄化を訳の主眼として訳されたそうです。私もそうだと思う宗教は神秘にすがるのではなく正しい心で死んで行く手助けが本来の姿であり役割なのだ。

2009年12月2日水曜日

認識

治療を長くやっているとよく原因について患者さんとこちらの考えている事との違いがある。

私が柔整の学生の頃に年配の女性が変形性膝関節症の為に来院していたがその方は、まだ若い頃に歩道を歩いていて正面から中学生がスピードを出して自転車を走っていてよけた時に足を痛めてその時が原因で悪くなってしまった。それが原因で反対の足も悪くなってしまったと言っていた。

当時の私はその患者さんに年齢からくる膝の変形で因果関係があっても薄いと思われますよと説明をして翌日も説明を繰り返して同じ会話を続けていた。患者さんは《あの時学生があんな乱暴な運転をしなければ私はなんともなかった筈》を繰り返していた。

当時は医学的な解説を一生懸命したものである。(笑)
その様な会話は多く若い頃一度痛めた事があってその時は治ってしまったが。
その時きちんとどこかに通院して治してなかったから今になって痛みが出てきたと言われる方も多い。
誰もが老人になるまでに一度は腰痛になる事はあるだろう。それを治していなかったから今老人になって腰痛の原因はそこにあると言われる人もいる。

最近の患者さんでやはり変形性腰痛症、変形性膝関節症の方であるがストレスから痛みが起きているそうです。ストレス社会であちこちが痛むようになったしまったとご本人さんは言われている。

ストレスに関しては私の蔵書にも病気と心の関係が多く書かれている。たまたま日本教文社の本を多く持っているが心との関係を多く出版しているので収集してしまった。

私はどこの宗派にも傾倒していないが後で分かった事であるが日本教文社は宗教法人<生長の家>の出版部門だった事を知った。生長の家は病治しを全面に出している宗派なのでその関係の出版物が多いのだろう。

癌に罹った人は一般の人に比べて離婚や転職を経験した人の方が発症が高率とのデータもあるがその数字で結びつけてしまうのは疑問がある。
癌は長い経過があって発症したもので人生長い間には誰もが人生の大きな試練や転機があるものだ。

病気に原因を求めて環境や生い立ちや生活に原因を求めるが

それもすべて自分が決めつけているだけだという事を知るべきだ。カルマは思い込んだ事がカルマとなる。