誰でも必ず死は訪れる。健康不健康に限らず、特にあんなに元気だった人がと周りの人が驚いたりするあっけない死を私以外の方も身近で経験はあるだろう。
ではどんな死に方が理想だろうか?それは病死である。納得出来ない人も多いだろうが病気で苦しんだ挙句の死がどうして理想なんだろうと思うだろう。
ほとんどの人が病死で亡くなり理想的な死を選んでいるのである。癌で死んで行く人の闘病日記で「癌になって良かった」過去の自分が病気になって振り返る様にさせてくれて後悔なく死ねると言って末期癌の痛みも受け入れて亡くなって行った涙の物語は何人も話がある。
死は必ず来る。それなら誰のせいでも無い。運命としか取りようのない選択肢である病死が本人家族に受け入れができる。
私が知る限り第三者が関係した人為的な要素が少しでも関係したら大変である。JR福知山線脱線事故JR羽越本線脱線事故等‥事故に遭ったご家族が相手方を恨み、また車による交通事故も加害者がどんなに謝り続けても決して許そうとはしない。テレビで母親が早稲田大学の大学院を卒業するのをやっていたが、子供が早稲田に入り10日足らずで歩道に飛び込んで来た車にはねられ亡くなってしまった。
母親は子供が果たせなかった大学生活の為に受験して早稲田に入り同じサークルに入り自分の子供と同い年くらいの同級生と学園生活をしてその後も大学院に進んだ。大学院卒業をしてから子供の事に心の整理はついただろうか?相手を許す事はできただろうか?
一生子供を思い続けあの時何で車が何の罪も無い息子の所に飛び込んで来たのだろうと思い続ける。
テレビで列車事故の遺族が放映していたが一生許せる事では無いといって恨みが募っていた。
私の知人が日航機の墜落機に乗っていた。事故が起こるたびに慰霊祭の石碑が作られご家族は高齢で動けなくなるまで毎年慰霊祭に通う。そして「この様な事故の事を風化させてはいけない」と語り生涯の人生の事件として残り続ける。
命を落とさないまでも事故で腕を無くしてしまった人が私の患者さんでもいる。「俺も馬鹿だったから不発弾の信管に素手で触っちまって」と後悔もあるが腕が無くなってしまっても誰のせいでもないと片腕で結婚もして子供も嫁いで妻も先に病死して、本人も体も弱り人生の終わりも近づいている。
温厚な性格の方で納得できているが。これが他人の責任で自分の腕が無くなったら大変である。俺の人生は奴のせいで壊されて今もこんな辛い思いをしていると人生観までがおそらく変わってしまうだろう。
世の中の出来事を全て受け入れて死と同じものだと思い。今命が続いている事に感謝の気持ちを持つ事だ。
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