2009年10月26日月曜日

人間関係③

7%以外にはどうして介入できないかは、意識に認識が無いからだ。自分の意識と言うものはしっかり認識しているようで実は殆どが無意識というか頼りないいい加減な存在で、その物事を判断する残りの僅かな意識でも感情に左右されて同じ出来事でも受け止め方や感じ方がその日によって違ってくるいい加減なものだ。

前に話した事だが梅宮アンナさんが「みにくいあひるの子」だった私と言う本を書いたら当時の同級生からいじめられたのは私の方とまったく逆の投書が上がった。事実はどうであろう?

徳光さんの対面番組で別れた奥さんが子供に逢いたいと申し出があり夫は怠け者で働かないで苦労して子供を残して出て行ったと奥さんが申し出があり、ゲストの人は奥さんの身の上不幸話に涙したが、子供達が出演したら奥さんの話は真逆の事で父親には感謝して母親は悪者であった。母親は『嘘よ、嘘よ、そんなの全部嘘よ』と泣きながら弁解していた。

この二つのお話は教訓的にとても重要な事なので二度三度と話してみる価値はあると思う。

人は自分の思う考えの生き方をしているだけで認識の人生なのである。
殆どの人が現実実際の事だと思い込んでいる

『記憶は嘘をつく』ジョン・コートル著講談社の本を読むと更に記憶とはいい加減なものである事が分かる。

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