2009年10月20日火曜日

人に悪人無し

どんな人でも意識から見た世界は現実ではなく屈曲して見える。
世界を見た時点でその人の認識から思考が初めて開始されその人なりの分析が始まりだす。

色眼鏡で出来事を見てはいけない、物事を決めつけた見方をしてはいけないと言うが、それは死んだ人しか出来ない。どんな人であってもその人の目から入った情報はフィルターを通してしか意識確認するしかない。本にも出てくるが99パーセントの悟りは悟りではない水は100度になって初めて沸騰する事が出来ると。100パーセントの悟りをした時点では生きて居る事は出来ない。全てどんな教祖さんでも食事もしないで1か月とは命を持ち続ける事はできない。どれだけ人に取って勝手な解釈でガイアに寄生しながら生活しているのが人である事か?

どんな清らかな聖人であっても、極悪人であってもそう傍から見ては違わない、私が警察の仕事で非行や暴走族の少年等と話しても根が優しい子ばかりであった。やくざ者であってもいい面を持っている。それは全部の犯罪者がそうだろう。私は留置場の現場に3年いたがこれらの人々は特別な人ではない
仕事をしながら、私も何かの偶然が起これば立場が変わる可能性もあると考えて仕事していた。

勿論私は法律を守るし反社会性の様な事はしないが、少なくても犯罪者は特殊な人々では無い、いつ私が満員電車で痴漢の冤罪をかけられるかも知れないしそれを無罪を証明する方法は無い。
(私は満員電車に乗る時は両手を上にあげて防衛して乗っているけれど)

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