2009年10月19日月曜日

人間関係①

私は子供の頃から人間関係の本が好きで、最初に手にしたのは名著と言われていデール・カーネギーの「人を動かす」を中学生の頃手にした。その後様々な人間関係の本を読ませていだだいたが最近は哲学書が多くなった。

人とは生物であり、生物をどんどん拡大して見てくと、細胞になり細胞と拡大していくと原子になりさらに原子と電子のガス状にもやった状態までたどり着く。そのガス状の物体が何らかの方法でお互いに伝達行為を行った居る。私は学者でもないがこれは凄い事だとおもう。

人間関係の本は当然ながら人対人を前提に様々な問題に対して解決策や方法を提起しているが私個人は根底から考えなおしていくべきだと思う。例えばリチャード・カールソンの世界的な名著「don't suite the small stuff」和名「小さいことにくよくよするな」の中で自分と他人とは違う、それを認める事で腹も立たないではないかとある。

しかしそれはどうか?私は地球上の人間はみんな同じだと思う。
価値観や文化風習、宗教や生い立ち、教育、人生哲学すべてが違うのではないかと思うでしょうが、それは私にとっては意識レベルの認識で前にお話した狭義の部分であって狭義な部分ほど同じ出来事に対して認識の差が生まれる。

日野原先生が幸せの閾値(いきち)を下げなさいと言われているが、戦争中の食べる物が無い時代に食べ物を分けてもらっただけで幸せだったじゃ無いですか?と言われているが出来事ではなく認識の差だけである。絶対的なものは上げたり下げたりなどできません。

全ては認識の錯覚が発端であって真実などは無く、全ては幻想であって絶対的なものは存在しない。
人は同じであるから夫婦になっても共同生活が出来るのであって、私と妻とは同じ生物ガスの番いでしかない。同じだから、とくに問題も無く死ぬまで番いをしてられる。
排便をすれば心地よいと思い、食事を抜けば空腹感が起こり、悲しい映画を見れば悲しみ、実は人は皆同じなのです。だから世界的なベストセラー作家や書著が多く存在しているのです。

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