死は怖い物で死にたくないと考えているか、無意識に死の話題を避けているのが普通の人だ、病院勤務時代も今週中に亡くなる人であっても多くの人はまだまだ自分は死なないと思いこんでいるのが不思議だ。
身近でありながら遠い存在に思い込んでいる。
死についての考えを語ろう。これも死んだら死なんだろう?と言うほどの単純ではない。
相撲で死に体と言う言い方があるが、すでに死んでいるが後から確定がやって来る。
意識を無くし自我がなくなり現社会と交流できなくなった状態も死という見方もある。
脳死を人の死とする考え方だ。
寝ているときは覚醒して居ない意識はレム睡眠ノンレム睡眠を問わず寝ているときは起きる時まで外界の事を知ることはできないし、会話も当然できない死に近い。
当たり前を順序建てて考えて行くと寝ているときは不思議な状態である。
介護しているベット上の人伴侶が丸っきり無反応で目を明け口を開けている状態である時は意識の疎通もなければ交流は皆無だその状態はどう考えるか。
反応があってしっかり受け答えをしてくれたとしても娘が父親の介護をした有名な話の山口美江さんが父親から『そろそろ結婚しようか』と語られた話であるが違う人格の人を介護して他人を人格上は世話している状態であった。
体が温かいから死とは呼ばないと言う見方もある。
意識レベルの段階法等があるがそれが死とは関係しないし簡単ではない。
看護学校の学長が看護師になっていく生徒達に死とは当り前の出来事で朝起きる寝る事と少しも変わらない普通の出来事なんです。と言ったそうだ。
寝て起きてこないだけの事あたり前程度の事
自分の番になったら決して寂しく考えないで、多くの作家が書いているが死とは孤独な物で孤独死と言う言葉自体がおかしいとある。
さあのんびり寝かせてもらおか、自分の種の時代は終わった、しかし次の種に引き継いだ事だし、と考える様に死んで行くつもりだ。
死の時も状況によっては自分の事だけを考えて死ぬ人もいれば戦争で事故で家族と一緒に大けがで死んで行く場合は自分の死よりも、相手の致命傷を案じ息絶えて行く様を残念がって心配していくだろう。
自分の死の恐怖などよりも孤独感とか一切の自分の状況より目の前の相手の苦しみを辛く思うだろ。
意識により、自己の死の受け入れ方や死にざまも変わってくる。
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