2010年2月23日火曜日

新刊

金曜日に東海大学病院でMRI検査に行ってきたが特に問題は無かった。
東海大学病院はいつ行っても混んでいてかなり待たされる。待合室では私は読書をしているが「代替医療のトリック」サイモンシン著新潮社を読んでいた。新刊ではあるが私の蔵書の事例を連ねて特に新鮮味のある内容では無かったが、加筆された部分もあるし治療をする人間として私たちはどの様な立場や評価をされているかは謙虚に受け止めなければならない。

東海大学病院の中で「代替医療のトリック」を読んでいて私達はいかに患者さんと触れ合いコミニュケーションを取っていてプラセボの恩恵と呼ばれても仕方ない有利な立場にいるとつくづく思う。
正規医療は不利な立場にあって流石に流行っている治療院でも予約時間を決められていてもそこから数時間も待たされる事は無いしそこで待ってる診察は3分の治療で笑顔等無く無表情で結果だけを説明したプラセボなど全くない世界で有るのは治療結果しか何も残らない結果だけの厳しい世界である。

東海大学病院は赤字であるそうであるが、あれだけの患者さんが来ても多大な設備投資人件費等大学病院の運営も大変であろう、医師も私が診察を受けた13:30であっても食事も取れず診察していてそのまま私が最後ではないのであるからまだまだ食事は遅くなる筈で頭の下がる思いである。

私達治療を携わっている人間は患者さんと関わり信頼や自信を分けてもらいます。がしかし人によっては哲学に嵌り過ぎて錯覚を起こしかねない。

人に感情や心がある以上代替医療はどんなにこの先科学が進もうとも無くなる事は無いだろうが科学のおかげて私達は今の生活がある事を私は感謝している。

2010年2月3日水曜日

褒める大切さ

褒める事は大切で楊名時小田原太極拳の永井先生もほめ上手である。
もともと楊名時太極拳は健康体操であるから制定拳の套路とは違い自由度が高い事もあり伸び伸びとさせるのが目的とも言える。
どんな順番を間違えようが、「素晴らしい演武でした」が口癖である。

最近感じたのは我が子のスキーでスキー教室に入れての事であるが
スキーのインストラクターから「この子は素質があると思います。飲み込みも早く、Bクラスでは一番上手であと少しでAクラスです」とのお褒めの言葉を頂いた。

我が子はかなりスキー教室に入れているが褒められたのは初めてである。何しろ先生の言う事を聞かないで勝手に滑ってしまうから上達も遅いと思われる。
やはり褒められて悪い気はしないのが親心であるから好い部分を褒める事である。


話は変わってスキーの事であるがカービングスキーになって滑る技術はかなり変わった。
昔は谷足内側に加重をかけるのが理論であったが、最近は山足外側に加重をかけるようになった要は両足を徹底して高速ターンが出来るようになったのである。
特にきっかけの初動で山足が使える事で瞬間的に切り返しが出来るようになった。

我が子も感覚で滑るタイプなので昨年かなりの上級者とスキーを行った際子供を見て「カービングスキーのこれが滑りだ、子供は素直に覚えられて好い」と言っていた。私の子供はスキー教室で基礎のスキーで
   はいお兄さんと一緒に滑る方向に肩を下げてそのまま下を向いたら谷足に体重をかけて~
   から始まる一連の初級の教え方を飛ばしてしまったのである。

もうすぐ冬季オリンピックであるが、私は子供と大人と最初のスキーの教え方を分けている今のやり方は将来に差が出ると思う。現在の大人の講習会で行っているものをそのまま子供に伝えた方が将来日本もアルペン競技で活躍出来る選手が出ると思う。今までのある程度の滑りが出来てから大人の滑り指導者講習会の技術を伝えたのでは時間がかかり過ぎると思う。

それとラジオトークで演歌歌手でスキー上手の細川さんが言っていたがスキー人口の低下と地方地元の子供のスキーをしなくなったそうである。東京の子供ばかりがやっていたのではオリンビックは難しいだろう、我が家は時々スキーに行く程度であるから子供も含めてさほど上手くないが、今年も知人のスキー場近くの別荘にお世話になったが我が子と同じ同級生の小3であるがすでに一般の2級であるし、今年1級も取れるかもしれない。そこの家庭は年間リフトシーズン券を家族全員で持っているがやはり指導と滑走日数が必要なのである。

積雪地方の子供達がスキーをやって頂かないと日本のアルペン競技は将来が危ぶまれる。

2010年2月2日火曜日

自己中心的

ラジオ番組の京谷 和幸さんが出演した。
車いすバスケットでは有名な選手ですが。以前はサッカー選手でありながら交通事故により下半身麻痺を患ってしまった方ですが、怪我をする前は自分で自分の事を「嫌な奴でした」自己中で自分がサッカー一番上手いと思っていたし、相手が誰だろうと認めない人間でしたと言っていた。

秀でたサッカー選手はプライドと努力で自分を磨きあげているのですから一流アスリートとしては自然だったと思います。

今は「自分中心でなく」「他人を認めるようになりました」

とあるがここの言葉にこの方は理解されていると深く感銘した。
「相手の立場に立つ」「相手の気持ちを理解する様に」ともし言ったならまだ悟りは半分であろう。
相手とは自分から見た立場であり自分の考えのフィルターからしか物事の森羅万象を客観的に見る事は出来ない。他人は自己を離れた人と捉え自己自体も他人と追及するとなる。
自己肯定もなくなり、自我とは何なのか?とたどり着き己の未熟を知り高いレベルの徳を身に付けるようになる。