2010年5月30日日曜日

古希

最近妻のお母さんの古希の祝をした。70歳は昔は稀であったことから古希の意味らしいが今は70歳はまだまだ元気である。

昔はもっと早く人は死に40歳で老人になり死んで行った。
お伽話のおじいさんおばあさんは実際の年齢は40代の年齢らしい。今から見れば短い人生であるが近代になって急に寿命が延びただけで人類の歴史をみるとそれが寿命ともいえる。前に歴史の中での庶民の平均寿命をみて鎌倉時代の平均寿命を知り驚いた。

いつかは死ぬ身長寿となっても同じ結果が待っているだけだが。

哲学者が現代人は長寿となった結果生への執着心が強くなりこれは良い事ではないと新聞に書いてあった。もし寿命が200歳だと恐ろしいまでの執着心に変わるであろうと意見があった。

生物的には寿命があるおかげで結果的に種として生き残り遺伝のふるいにかけられ今がある。
最近はこのふるいも平等の理論から全ての人が医療によって生存する事が当たり前の考え方になりつつある。

人は無性遺伝から別れを告げ有性遺伝の道を選んだ、その結果が死だ。
遺伝の疾患により若くして死んでしまう人もいる。しかし淘汰が無ければ遺伝はコピーの繰り返しであるから必ずミスが生じ悪い遺伝子が生まれる。
昔は寿命で死んで行ったが今は更にコピーされている、これからは遺伝性疾患はやがて右肩上がりに1000年を待たずに増えて行くだろう。